令和2年7月

『維新の残り火・近代の原風景』山城滋著、弦書房 令和2年7月28日

本書は中国新聞(本社・広島市)に2017年(平成29)4月から、2018年(平成30)9月まで、毎月2回、連載された維新の話である。その全35話を「グローバリーゼーション」「ナショナリズムとテロリズム」「敗者の系譜」「近代の原風景」として、4章に分類したもの。この中で注目したいのは、やはり、第3章の「敗者の系譜」である。明治維新において、勝者であるはずの長州藩だが、その実、敗者の系譜が歴史の襞に塗りこめられていたのである。

その代表的史実が、戊辰戦争での勝者として故国に凱旋しながら、反乱軍として木戸孝允(桂小五郎)に討伐された農商兵の話だろう。いわゆる「脱退兵騒動」だが、「四民平等、一君万民」という維新のスローガンと異なり、長州藩には歴然たる身分差別が横たわっていた。被差別部落出身を含む農商兵は、反政府勢力として殺戮されたのである。本書では述べられていないが、海防僧月性の影響を受けた大楽源太郎は九州へと逃れ、既知の久留米藩の仲間に庇護を要請した。明治4年(1871)に起きた最初の武士の反乱事件である「久留米藩難事件」において大楽源太郎らは久留米藩の仲間に殺された。四方を政府軍に囲まれた久留米藩としては、苦肉の策として大楽らを殺害したのである。しかし、大楽暗殺事件として「久留米藩難事件」は処理された。このことは、明治9年(1876)に起きた「萩の乱」において再燃したが、松陰精神の継承者である前原一誠は反政府勢力として処断された。木戸を始めとする新政府の主要な人物がかつての仲間を封殺したのである。

明治維新150年としてNHKの大河ドラマは「西郷どん」だった。林真理子原作、監修には「篤姫」の監修も手掛けた原口泉氏だったが、その視聴率は伸びなかった。本来、明治維新100年と150年とは、何がどのように異なるか、どのように変化したかを検証すべきだったが、明治維新100年の焼き直しでは、関心が薄れるのも致し方ない。振り返れば、西郷隆盛も明治10年の「西南戦争」では敗者になる。しかし、今もって、その人気は衰えない。その点を強調すべきだったのではと、悔やまれてならない。

明治という時代の変化は、日本の生存のために必要であった。西洋が100年を要した近代化を、50年で達成しなければ生き残れなかったのである。必然、歪みが生じ、何にしても斃れる(敗戦)しかなかった。

明治維新での敗者の系譜を辿る事は、昭和20年(1945)8月15日の敗戦国日本の事実を冷静に判断できる材料と考える。全35話の端々に、著者の昭和20年の敗戦に対する事実認識の欠如が如実に見て取れるが、このことは、いまだ、明治維新史が勝者の視点からでしか伝わっていないことに起因していることが見えてくる。本書は、いみじくも、その歴史の陥穽を炙り出している。
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『荒野に立つ虹』渡辺京二著、弦書房 令和2年7月28日

本書は渡辺京二氏の論考などをまとめたものである。「現代文明」「現代政治」「イヴァン・イリイチ」「日本早期近代」と大きく4つに分類し、32のタイトルで構成されている。いずれも興味深い内容だが、新型コロナ・ウィルスの感染防止に振り回される現代においては、「イヴァン・イリイチ」という哲学者が語った内容は外せない。しかし、このイヴァン・イリイチは、現代日本の進歩的文化人たちによって疎外されてしまった。このことは、進歩的文化人の読みの浅さ、日本の思想界の層の薄さを露呈した感がある。

日本は1990年代後半以降、新自由主義に移行し、それを受け容れた。しかし、そこで露呈したのは、日本及び日本人が自分たちの感覚や倫理を意識し、言語化、体系化、正当化してこなかったことだ。この指摘は、正直にうなづくしかない。TPPにしても、マスコミ報道に疑問を抱かず、「安いから」という事を前面に出し、密かに背後のアメリカの圧力をにおわせることで、大人のフリをして納得していた。しかし、アメリカのトランプ政権はTPPなど見向きもせず、日本の政官財界は為す術がなく、マスコミは声を潜めてしまった。このことは、農業とはなんぞや、ということを日本の農家も考えていなかったことに起因する。「生きることは食べること。食べることは生きること」という原則を考えれば、日本人にとっての農産物は生きる糧。大量生産、大量消費するエサではない。欧米の農業は狩猟型であり、東洋の農業は循環型である。そう体系的に認識していれば、金銭での評価対象でもなく、共同体という制度における給付、分配の対象であったと認識できたはずだ。

この認識の欠如は歴史認識においても同じである。敗戦後、日本の歴史は占領軍によって書き換えられた。これは、欧米の植民地支配の実態を見れば容易に判断がつくのだが、巧妙に仕組まれたプログラムにより、多くの日本人は疑問を挟む隙さえ与えられなかった。著者は、明治新政府によって創造された暗黒の江戸時代が、じつはそうではないことを描いた。その批判、批評にことごとく反論する展開には、爽快すら覚えた。著者の手法で、今一度、戦後の歴史を見直してもよいのではないか、

著者の515事件、226事件との明確な相違の指摘は、「なるほど!」と腑に落ちるものであった。将校のみの権力に対抗する行動か、兵(国家)も加担した決起かの相違である。余談ながら、夏目漱石の日本の敗戦を予見した小説の読み込み方の深さにも、感服する。

本書は、平成28年(2016)の西日本新聞・書評欄「今年の一冊」に寄稿したが、再読し、驚いたのは、2017年ノーベル文学賞を授賞した日系イギリス人のカズオ・イシグロについて、著者は2002年の段階で「The Remains of the Day」を「偉大なる小説」として評価していたことだった。この先を見通す著者の眼力に感服した。手元に置いて、何か、迷った時にはページをめくる。そんな一書である。
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『昭和維新』田中健之著、学研プラス 令和2年7月21日

本書を手にしたのは、著者が「玄洋社」初代社長平岡浩太郎の曾孫であり、「黒龍会」創設者内田良平の血脈であるということが大きい。「昭和維新」との題名だが、ある意味、玄洋社からみた昭和維新史と言える。

本書は三部構成であり、第一部は「昭和維新」の胎動、第二部は五・一五事件から二・二六事件、第三部は二・二六事件と「昭和維新」の挫折となっている。総ページ数は580ページ弱の大部となっている。

この「昭和維新」について、多くは二・二六事件を最終決着点として語られる。ゆえに、青年将校の周辺、青年将校に影響を与えた北一輝から語られる。しかし、本書は大川周明から始まる。大川周明は、いわゆる東京裁判で東條英機の頭を背後から叩くなどの奇行がクローズアップされるが、その思想、背景については語られない。その大川周明を著者が取り上げたのも、東京裁判の映像によって封じ込まれている大川の真実を引きずり出したいという思いからに他ならない。

著者は、本書の「はじめに」において、こう述べている。

「日本を敗戦に導いた権力者の責任を日本人自身が総括しないまま、戦後政治に引き継がれてきた。日本を敗戦に導いた指導者たちは、本来ならば連合国にその責任を負わされるのではなく、天皇と国民に対して祖国を亡国の危機に導いた責任を負わなくてはならない。」

東京裁判における大川周明は東京裁判で晒し者、ピエロを演じ、そのことで、戦争指導者、日本国民は免罪符を得たのだった。いまだ、日本という国は、日本国憲法という衣装に変っても、その実、大日本帝国憲法の時代と変わらないと揶揄される由縁である。

著者は「昭和維新」というテーマから五・一五事件を説いた。五・一五事件は昭和七(一九三二)年五月十五日に起きた。首相犬養毅を襲撃した陸海軍青年将校のみならず、頭山秀三も関係した。本書にも記されているが、犬養毅の墓所は東京都立青山霊園にある。その少し斜め前に、犬養の盟友ともいうべき頭山満、そして、頭山秀三の墓石が有る。なかなか、この両家の関係については深く立ち入れない。しかし、著者はその両者、心情を綴っている。本書の200ページから始まる件は、興味深いものだった。過去、表層をなぜた著述はあっても、ここまで頭山と犬養の関係を表現したものを読んだことがない。

次に、二・二六事件の引き金ともいうべき「永田鉄山惨殺事件」は興味深い。この永田鉄山を刺殺した相澤三郎中佐の弁護士は鵜沢総明だが、鵜沢は東京裁判での日本人弁護団長として知られる。鵜沢が相澤の弁護をどのように展開しようとしたのだろうか。平成二十七年二月二十六日、東京麻布の賢崇寺で二・二六事件、永田鉄山惨殺事件関係者の慰霊に参列した。賢崇寺とは佐賀鍋島藩主の菩提寺だが、処刑された二・二六事件での青年将校らの墓所があることでも知られる。この法要で、相澤三郎の娘からの手紙が読み上げられた。あの子煩悩だった相澤の娘が存命であることに感慨を覚えた。さらには、その所在すら不明であった二・二六事件での公判記録が東京地検に保管されており、公文書館に移されることになったとの報告も。

最後に、本書の最終章である東條英機暗殺未遂事件である。この章では、中野正剛に対する東條英機の言論弾圧が述べられている。憲兵を総動員し、委細洩らさぬ情報統制を敷いた東條だった。その東條の独裁に、生命を顧みず反対闘争を繰り広げた中野だった。その自決に際して、机上には西郷隆盛の全集が広げられていたという。中野が、西郷精神を継承する玄洋社の人でもあったのだと再認識させられる場面である。毀誉褒貶はありながらも、断固として権力者東條に叛旗を翻した中野の慰霊祭は今も地元福岡で続けられている。

昨今、庶民の暮らし向きを考えず、金銭、異性問題で世間を騒がす政治家が多い。ここに、戦後を総括しなかったツケが日本社会の混迷を招いたといえる。今、亡国の危機にある日本に対し、政治家は自戒し、必死の覚悟をと著者は主張する。

今回、本書を世に問うた著者の決意はここにある。そのことを汲み取っていただきたい。

 

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『北欧諸国はなぜ幸福なのか』(鈴木賢志著、弦書房)令和2年7月4日

本書は2019年(令和元年)7月27日、福岡ユネスコ協会が主催する講演会での内容をまとめたもの。60ページ弱のブックレットである。

まず、著者(演者)は、明治大学国際日本学部の教授であり、イギリスに留学したものの、家計の問題で家賃無料のスウェーデンの大学研究員となる。以後、10年ほどを現地で過ごし、本書はその時の体験をもとにスウェーデンの内実を述べたものである。

スウェーデンといえば、高福祉、高税率の制度を導入している。この制度に国民の不満は生じないのかという疑問が生じるが、人口1000万人のスウェーデンでは、高い経済水準を維持しており、この制度を当然の帰結と認識している。家具のIKEA(イケア)、ファッション衣料のH&M、自動車のVOLVO(ボルボ),薬のAstraZeneca(アストラゼネカ)、紙パックのTetraPak(テトラ・パック)、音楽配信のSportify(スポーティファイ)、インターネット通信のSkype(スカイプ),Ericsson(エリクソン)などの企業がスウェーデンの稼ぎ頭。

さらに、労働をシェアするというより、より働ける者は働くという環境になっている。女性でも、障害者でも、働いて利益を上げる制度になっている。日本との労働時間を比較しても各人の労働時間は短いが、高収益体制となっている。この、より働ける者は働くという感覚は、経済水準と幸福度は相関関係にあると国民が認識しているからだ。

 そして、高福祉政策については、権利と義務という相関関係が厳格に認識されている。仮に移民がスウェーデンで就労を希望すると、スウェーデン語は必須であり、そのための学校(無料)に行かなければならない。さらに、その出席率は厳格にチェックされ、甘えは許されない。

大学も無料。しかし、成績が下がれば奨学金の打ち切りがあるので、必然的によく学ぶ。兵役もある。スイスのみならず、スウェーデンも永世中立国だが、紛争に関与しない代わりに、他国の侵略、侵入を受けない軍事力の保持を当然と考えている。実際に、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツは北欧諸国を侵略したが、スウェーデンのみは対象外だった。ゆえに、戦闘機も国産化するが、自動車メーカーであったSAAB(サーブ)は戦闘機メーカーである。


スウェーデンといえば、近年、環境問題でのグレタ・トゥーンベリという女子高校生が世界的に話題になった。しかし、これはスウェーデンでは普通のことであって、騒ぎ立てたマスコミの認識レベルが低い。恣意的に彼女を利用したということである。環境問題は、半世紀近く前から問題視されており、それをおざなりにしてきたマスコミの怠慢であることを、皮肉にも、グレタさんが露呈したに過ぎない。

本書では、日本の憲法改正、教育制度についての問題提起が潜んでいる。原理原則、根本原理を無視した、表層部分での議論しかなされなかったかを痛感する。要は、議論が存在しない。これでは、日本ではコメンテーターにはなれても、思想家にはなれない。スウェーデンの長期戦略から学ぶべき事々は多い。

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『インテリジェンスと保守自由主義』(江崎道朗著、青林社)令和2年7月2日

インテリジェンスという言葉から、現代の日本人は何を思い浮かべるだろうか。戦前の特別高等警察(特高)、陸軍憲兵隊(憲兵)と言われるかもしれない。しかし、戦後75年、戦争を経験していない日本では、特高、憲兵といっても死語に近い。故に、『インテリジェンスと保守自由主義』という題名を見ても、敏感に反応する方が少ないのではないか。しかし、副題に「新型コロナに見る日本の動向」と記載されていることから、本書を手にされる期待大だ。現実問題として、新型コロナウィルス対策の遅れは、情報収集能力の低さだった。本書は全9章で構成されているが、第7章の「新型コロナ対策が後手後手になったのはなぜか」から読み進んでもよいだろう。

 まず、本書を読み進みながら、日本の報道機関に対する不平、不満、不安が募る。2019年(令和元年)9月19日、EU(欧州議会)は旧ソ連(現在のロシア)を戦争犯罪、侵略国家として議決したことが、日本に伝わっていない。連日、日本に届いたニュースは、イギリスがEUを離脱する、しない、であった。経済にどのような影響が起きるしか、伝えなかったのである。ソ連を侵略国家と議決したEUからすれば、次に、侵略国家として議決されるのはイギリスである。経済的な事由からのイギリスのEU離脱が報道されたが、その背後には、ソ連の侵略国家議決があったのではないか。このEU議会でのソ連批判は、北方領土問題が解決していない日本にとって、重要なニュースである。日本の報道機関が意図的にイギリスのEU離脱だけを報じ続けたのであれば、国益に反する対応であったとして批判されなければならない。恣意的であったとすれば、なおさらである。

著者の一連の著作を読むと、コミンテルンの動きについて書かれたものが多い。大局的な視点でとらえた内容には、あの昭和16年(1941)から始まるアメリカとの戦争も、用意周到に仕掛けられた戦争であったことがわかる。それもアメリカのルーズベルト大統領、その側近による戦争計画に基づいたものであることが明白だ。しかし、いまだに、多くの日本人は「日本が戦争を始めた」「日本は侵略国家」だと、信じている。このことで、憲法9条を楯にし、「平和憲法」を守るとして外交、国防に齟齬をきたしていることに気づいていない。

さらに、日清、日露戦争までをも「侵略」戦争と定義づけ、世界の、アジアの平和を崩壊させたのは日本であると教科書で教えている。それは、入試問題にまで及び、教員、学校関係者らが何ら疑問を抱かない。これは、日本の弱体化、消滅計画に他ならない。

阪神淡路大震災、東日本大震災でマスク、防護服が必須であると経験したにも関わらず、価格競争のみを前面に出して、なぜ、中国に生産を委託してしまったのか。一時期、アメリカのトランプ大統領の自国第一主義を世界の報道機関は批判した。しかし、新型コロナウィルスの発生により、世界中の国々が国境を封鎖し、出入国を厳格化した。この現実に、トランプ大統領を批判した評論家の謝罪コメントは目にしていない。いかに、情報収集、自主性に瑕疵があるかを露呈した出来事ではなかったろうか。

著者は、もう一つ、大きな問題提起をしている。それは、アメリカとの同盟関係も大事だが、自主独立の気概が日本に欠けていることである。実質的な防衛予算が必要であり、そこから初めて、国益にかなったインテリジェンスが生きてくる。政府任せ、アメリカ任せではない、日本国民がそれぞれ、独自の視点をもって意見、意思を持たなければならないと警告する。

世界は大きく動いている。保守自由主義を支持する方々は、インテリジェンス機関の重要性にも関心を向けて欲しい。


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