令和2年8月~

『漱石の師マードック先生』平川祐弘著、講談社学術文庫

夏目漱石の師としては、東京帝国大学予備門長であった杉浦重剛が知られている。文部省の指示で、登校時の学生は靴を履かなければならなかった。これも、明治の欧化政策の一つだが、これに若き日の漱石は反発心を抱いた。下駄ばきで、校舎の廊下をこれ見よがしに歩いた。そこに出くわしたのが、杉浦予備門長だった。

「夏目、オマエは下駄と靴の底との摩擦面積の比較をしとるのか・・・」

何喰わぬ顔で、漱石の校則違反を見逃した杉浦だった。以後、漱石は終生の師として杉浦を尊敬していた。


そんなエピソードを持つ漱石に、もう一人、師と呼ぶべき人がいた。ジェームス・マードックである。漱石は、このマードック先生からきついスコットランド訛りの英語や歴史を学んだが、休日には早朝から自宅を訪ね、教えを乞う間柄でもあった。


明治四十四年(一九一一)、漱石に文学博士号を授与するとの通知がきた。同じく、医学博士としては、あの野口英世の名前もあった。しかし、漱石は、この文学博士を辞退した。文学博士授与、辞退という一連の報道を新聞は伝えていたが、この頃、鹿児島七校で教鞭をとっていたマードックが漱石に手紙をよこした。


「今回の事(文学博士号辞退)は君がモラル・バックボーンを有している証拠になるから目出度(めでたい)」との文面だった。

この漱石とマードックの人間関係は、日本の西洋化が過熱する中において、文明とは何ぞやと考えさせてくれる貴重な一編である。

この漱石とマードックとの関係性に続き、本書の後編では、漱石と森鷗外との比較文学の検討だった。漢文の素養を叩き込まれた両者の小説文体の比較は、それぞれが留学した国の相違も見て取れる。大英帝国の首都ロンドンに留学した漱石。欧州の新興国であるドイツに留学した鷗外。漱石、鷗外が漢文という基礎固めをした上に、英語、ドイツ語の影響が、文学にどのような反映したのか。いずれも甲乙つけがたいが、日本の文明度の高さを窺い知る検証は面白いものだった。

「あとがき」を読むと、著者の論文に対し、西尾幹二、竹内好などの研究者からの批判があったことを関心をもって読んだ。

昨今、名誉を欲しがる輩が多い中、明治の男の心意気とでもいうべき姿を漱石、マードックに見い出し、心地よい読後感に浸ることができた。

                                                                                                                                    以上

「福岡地方史研究」58号 令和2年9月22日

元号「令和」の発表と同時に、福岡県太宰府市にある坂本八幡宮が一躍、脚光を浴びた。この坂本八幡宮が、大伴旅人の自邸跡であると某全国区の報道機関が配信したからだ。元号「令和」の令和は大伴旅人が詠んだ歌の中にあり、その歌を詠んだ「梅花の宴」が開かれたのが大伴旅人邸。日本全国から、その大伴旅人邸跡を目指して人々がやってきた。神社周辺は大渋滞を起こし、氏子衆も慣れぬご朱印発行に悲鳴を上げた。

そんな様を、冷ややかに見ていたのが、本書の「大伴旅人の館跡(大宰帥公邸)を探る」として寄稿された赤司善彦氏である。氏は、大伴旅人も赴任した大宰府政庁周辺の発掘調査に関わった方だ。赤司氏が言われるには、「坂本八幡宮は大伴旅人邸跡と言われる候補の一つでしかない」と。発掘調査時の記録写真も挿入しての論文は一読に値する。某全国区の報道機関の作為的ともいえる報道だったが、その後、訂正の報道がなされたとは耳にしない。ふと、国民を煽る、かつての大本営発表を想起した。

今回、本号は太宰府特集だが、太宰府天満宮参道にある茶店「松屋」に遺る古文書の紹介が出ている。太宰府天満宮は「維新の策源地」といわれる。その「松屋」は旧薩摩藩の定宿であり、西郷隆盛、大久保利通、平野國臣、勤皇僧月照の手跡を目にすることができる。悲しいかな、その筆文字を正確に読み下すことは難しい。しかし、それらの翻刻が竹川克幸氏(日本経済大学教授)によって詳細に述べられているのは、ありがたい。


また、本誌を発行している「福岡地方史研究会」会長の石瀧豊美氏による寄稿「案外わがままだった太宰府の五卿」も興味深い。一般に、「司馬遼太郎はよく調べている」として小説の内容を史実として語る方がいる。小説は小説、史実は史実として異なった視点で見ることを多くの日本人は知らない。その差異を具体的に知る事ができる内容でもある。ただ、小説には小説としての役割があり、司馬遼太郎を否定しているのではないことはお断りしておきたい。

今、地方史から日本史を見る動きが増加中だ。これは、多角的に物事を見なければ真実は見えないということからだが、考古学、民俗学と並んで「地方史学」という新しい学問体系が誕生するかもしれない。商業誌ではないだけに、面白みに欠ける。しかし、後世に伝えなければ、という思いが詰まった研究会誌である。

筆者も福岡県久留米市に遺る北野天満宮を考察した「北野天満宮・・・」として一文を寄稿している。

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『川の中の美しい島・輪中』長野浩典著、弦書房 令和2年9月11日

「輪中(わじゅう)」という言葉は、小学校か中学校の社会科の授業で習った記憶がある。確か、濃尾平野の木曽川などの河口近辺にあり、天井川という言葉も同時に覚えたと思う。その河川の中に存在する中洲のことを「輪中」というが、それが現在の大分県大分市にもあったと知り、小さな驚きの声をあげた。

とはいえ、今回、この本を手にしたのは、第四章「輪中の近代」に登場する毛利空桑(もうり・くうそう)の事績を知るためだった。幕末史を調べていて困惑するのは、飛び地である。現在の大分市鶴崎は、熊本藩が参勤交代のための御座船「波奈之丸(なみなしまる)」の港として利用していた飛び地であった。空桑は寛政9年(1797)、輪中がある熊本藩の飛び地に生まれた。空桑は熊本藩の儒学者、勤皇家として知られる。

明治3年(1870)、空桑は長州藩の奇兵隊脱退騒動に巻き込まれた。長州藩の大楽源太郎が騒動の首謀者として嫌疑をかけられ、旧知の空桑、そして、高田源兵衛こと河上彦斎を頼ってきたからだ。この大楽を匿ったことから、空桑、河上は熊本藩の処罰を受けている。

昨今、日本全国で悲惨な大水害が発生する。堤防を築いても、いつしか、破られる。科学がどれほど発達しようとも、水と争うのではなく、水と共生することを人々は知り、それを生活に生かしてきた。自然を前に、人は謙虚であるべきと教えてくれる。

本書は「輪中」の歴史を全7章、200ページ余から、人々が水とともに生きてきた関係性を余すことなく述べている。歴史研究者のみならず、地方自治体、土木関係者にも一読していただきたい内容だ。
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『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社 令和2年9月5日

『京築の文学群像』という表題だが、京築とは、福岡県東部、瀬戸内に面した地域。現在の、福岡県京都郡、築上郡、行橋市、豊前市一帯になる。福岡県といっても、明治の廃藩置県により、旧小倉県などが統合されて福岡県が誕生した。現代においても、旧藩が異なれば、気質も異なるといわれる。京築は、旧小倉藩(豊津藩)の文化を受け継いだ地域と考えた方が分かりやすい。幕末、旧小倉藩は関門海峡を挟んだ長州藩(山口県)との戦いで小倉城を自焼し、この京築に旧小倉藩士たちが移り住み、新たに豊津藩を設けた。ゆえに、文化としては旧小倉藩の藩校「思永館」の系譜に連なる。

この京築は、あの『源氏物語』を英訳した末松謙澄を輩出した。その末松は「水哉園」という学塾で学んだが、塾を主宰する村上仏仙は厳しく漢詩を指導したという。その甲斐あってか、漢詩を好む伊藤博文の知遇を得ることができた。

また、この京築においては、あの堺利彦は外せない。社稷を忘れ、権門に驕る旧長州藩出身の桂太郎は、この旧小倉藩の系譜に連なる社会主義者・堺利彦を恐れたことだろう。

続々と京築の文学話が紹介されるが、『ホトトギス』を主宰する高浜虚子によって汚名を被った杉田久女について言及するのは必須。権力者・桂太郎によって堺利彦は封印されたが、文壇の権力者・高浜虚子の巧妙な政治手腕で杉田久女は貶められた。これは、文の世界において、許されることではない。まさに、名前の通り、高浜虚子は「虚の子」であった。その虚子の偽りを暴いたのが、増田連(ますだ・むらじ)の著作だが、はたして、広く世間に伝わっているのだろうかと懸念する。


本書を読み進む中で、筆者にとって興味深かったのは、「幕末―明治の郷土を知る」の章だった。会津藩から豊津藩(旧小倉藩)の藩校育徳館に留学した郡長正の自刃の話である。自決に至る様々な説があることに驚くが、是非、会津に残る誤解が解消されることを願うばかりだ。

  • 京築を彩る文化と歴史
  • 郷土、美夜古の文献と歴史


300ページ余に及ぶエピソードには飽きることが無い。膨大な文献を収集し、読破した者でなければ書けない内容であり、インターネット情報では知りえない新しい発見がいくつもあった。山内公二氏の「序」ではないが、本書は「郷土史学」という新しい学問体系を確立する礎になりうる一書といえる。

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『戦後欧米見聞録』近衛文麿著、新潮文庫 令和2年8月25日

本書は、1919年(大正8)に終結した第一次世界大戦の講和会議に随従した近衛文麿の見聞録。近衛は全権の西園寺公望の随員として渡欧しているが、26歳という年齢で世界を見通している眼力に驚く。

近衛に対する評価は一定しない。大東亜戦争後、戦争犯罪人指定を受け、服毒自殺したためもあるが、首相在任中の平和を希求する姿勢と、実際の政策が矛盾しているからだ。中国大陸に対する見識(この当時はシナ通と呼んでいた)がありながら、蒋介石の国民党政府を相手にせず、などの声明を発表している。さらに、昭和13年(1938)3月には、国家総動員法を成立させている。軍部に阿り、対外交渉の手詰まりを、政策で誤魔化しているとの誤解を受けても致し方ない。しかし、ここでは、第一次世界大戦後の欧州、そして、排日移民の声があがるアメリカの状況を知るには、貴重な見聞録となっている。

第一次世界大戦の終末期、ロシアでは二月革命、十月革命が起きた。戦争の当事国であるドイツでも十一月革命が起きている。近衛の見聞録においても、ボルシェビズム(ロシアの共産主義者たち)として、その危険性が述べられている。

1920年(大正9)、国際連盟が創設され、近衛は世界の平和のために喜ばしいとしている。反面、日本が提案した人種差別撤廃については、否定されている。国際連盟ができたからといって、すぐさま世界に平和がもたらされるわけではない。事実、1921年(大正10)には、ドイツにおいてナチス党が結成され、11年後の1933年(昭和8)には、ヒトラーが首相に就任し、1939年(昭和14)には、ポーランドにドイツ軍が侵攻した。その結果、世界は再び、未曽有の世界大戦に突入したのである。

すでに、昭和11年(1936)の二二六事件で証明されたように、日本は世界の金融経済の枠組みにしっかりと組み込まれていた。反乱軍の青年将校たちを早期に鎮圧しなければ、為替決済の電信線が使用できなかったのである。

世界の平和を希求した近衛でありながら、首相在任中に大本営が設置され、戦闘体制に備えていたのか。それとも、日米戦争は回避不可能と判断したのか。

本書には、細川護貞の解説が付されているが、その中に米国が「多量の好戦的尚武的素質」があることを近衛が見抜いていたとの記述がある。まさに、近衛はこの米国の本質に対処していたということだ。その米国との経済格差を承知の上で。

戦争は嫌だと言っても回避できない事実があることを本書は示している。果たして、大東亜戦争直後の近衛評のままで良いのかと考える。世界的な視点で、歴史の詳細な振り返りが必要と痛感させられた。

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『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』柳田邦男著、新潮文庫

新型コロナ・ウィルスの蔓延防止から外出自粛が求められ、不要不急の外出を控えるということから自宅に籠る生活が続いた。その中で、改めて渡辺京二氏の『荒野に立つ虹』を読み返した。講演録や過去に寄稿した文章をまとめたものだが、特に哲学者のイヴァン・イリイチの章は、じっくりと読み返してみたいと思っていた。イヴァン・イリイチの唱える言葉に日本人は飛びついたものの、それでいて「信じたい」と思う事と真逆の発言をイリイチがしたことから掌を返した。上野千鶴子氏に引きずられるように大衆はイリイチを見放したが、この行為は「自分の頭で考える」という時間と過程を現代日本人が失ったことを表している。少年による殺人事件が発生しても、マスコミ報道の間は記憶にあるが、マスコミが別の問題を報じ始めると、そちらに誘導されるのと似ている。

本書は、そんな、忘れっぽい、対岸の火事で問題を見たがる日本人の観察記録といってよいかもしれない。すでに起きた事件、忘れ去られた事件を、架空ではなく、現実に自身の生活に「存在」していることを示してくれる。少年少女による殺人事件、工場での事故など、12章に分け、問題点を鋭くえぐりだし、さらに、その対処法までをも提示する。非効率主義とでもいうべき対処法だが、逆に理にかなっていると言える。

人は、断食によって、感覚を鋭敏にする。同じく、副題にあるように、ケータイ・ネット情報を遮断して、自身で考えることをしなければ、人生の目的も何も見えなくなる。自身で考える事は、「自身で考える訓練」と置き換えても良いのかもしれない。新型コロナ・ウィルスによって非効率な社会に放り込まれ、人は右往左往する。しかし、飛行機が飛ばなくなって久しい。その結果、人間の頭上には青空が広がり、夜空の星の輝きを認めることができる。このことに、どれほどの日本人が気づいているだろうか。

もうひとつ、航空機パイロットの飲酒が問題として報道されていた。パイロットの飲酒問題では、職業倫理を問う意見が多かった。しかしながら、その根本的な問題はパイロットではなく、効率を求めての運行プログラムを組んだ航空会社にある。そのことに言及する評論家がいなかったのは、残念だ。しかし、柳田氏は見抜いていた。氏には『マッハの恐怖』という著作がある。航空機事故を扱った内容だが、その事故原因は組織と制度にありながら、事故原因はパイロットの操縦ミスである。

重大な事故が起きた時、「想定外」という言葉で責任回避をする人が多い。しかし、すべては「想定内」である。対処方法を蔑ろにしてきた人間に問題があると柳田氏は指摘する。「想定外」とは、「普通」が異常であることに気づかない人間の意識のなかにある。副題に「ケータイ・ネット依存症への告別」と出ているが、まずは、洪水のごとき情報を、一度、試しに遮断してみてはと柳田氏は提案する。何か見えてくるものが、あるはずだ。渡辺京二氏の『荒野に立つ虹』と並列で読むと、東洋哲学の意味深さをも知る事ができるだろう。

                                                      以上