6月、季節的に何かと総会が続く。かくいう私も大学学部同窓会の幹事の一人として総会に出席した。大学の同窓会組織は大きいが、学部となると人文学部という文系中の文系なので、小さい。さらに、語学系が中心なので女性が多数を占める。卒業すると仕事だ結婚だと私事優先で、同窓会どころではない。故に、学部総会の出席者は一けた台。
半世紀前、学部の学科は4学科だったが、今では8学科になり、中でも教育・臨床学科は人気という。この学科は特に、女性に人気で90%が女子で占められる。世の変遷を学科の増加、内容で知るが、同窓会への関心は低い。これも世の流れなのか。
振り返ると、入学式の翌日、学部のオリエンテーションだった。200名余の新入生が階段教室に集合する。前方から女子学生が詰めていて、壮観だった。男子学生は多勢に無勢で後方に追いやられる。高校は男子校だったので、臭い、汚い、うるさいが当たりだった。環境の変化に戸惑いながらも階段教室前方から女性臭が上昇気流となって後方に流れ来る。正直、その女性臭に吐き気を催した。
男子学生が少しでも多いドイツ語学科で良かったと思ったのも束の間、一般教養科目などは、ほぼ女子学生で占められるフランス語学科と一緒。一学科40名程なので、2学科一緒でということだった。
体育の授業での失敗談をひとつ。男女ともに同じジャージを着ている。ドイツ語学科の男子と思って「おい!」と気軽に肩を叩いたら、フランス語学科の女子だった。今では懐かしい思い出だが、周囲から冷やかされ、穴があったら入りたい気分1000%。この体育の授業では、やはり、フランス語学科の女子が広いグラウンドでコンタクトを落とした。全員、一列、四つん這いになって探したが、見事発見。女子学生たちの歓喜に満ちた黄色い歓声がグラウンドに響いた。
そんな学生生活を送る私だったが、夏休み、冬休み、春休み、休日はアルバイト三昧だった。せっかくドイツ語学科に入ったなら、ドイツに行こうと決めていたので、その資金調達のためだった。なんとか、目標の50万円に到達したが、50年前の50万円は結構な金額になる。その半分は往復の航空券代に飛んで行った。当時、大韓航空の北回り便、いわゆるシベリア・エキスプレスと呼ばれる危険な偵察飛行を兼ねた便が時間、経路として安かった。今では直行便が当たり前だが、アラスカ・アンカレッジ空港(アメリカ)で給油を必要とした時代だった。
そんな大変な思いをして行ったドイツ(厳密には西ドイツ)だったが、あっけにとられた。なんと、主要な駅前ではナショナル、東芝の電光看板が輝いている。時計店ではスイス時計を片隅に追いやり、堂々、セイコー、シチズンが鎮座している。町中ではホンダのシビック、日産のチェリーが我が物顔で走っている。シビックに乗るドイツ人が「グーテアオトォ(良い車だ)」と語りかけてきた。
現代日本は、アメリカ占領軍の影響で大きく変わった。それは、同じ敗戦国であるドイツも同じだった。この時代や環境の変遷については次の書評で知っていただきたい。
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『ドイツ人のバカ笑い』Ⅿ・レンツ、Ⅽ・ハラウンド、Ⅾ・トーマ著、西川賢一訳、集英社新書
・ジョークは世につれ世はジョークにつれ
謹厳実直という印象があるドイツ人。果たして、彼らは、「笑い」というものを知っているのだろうかと訝る。堅物、頑固、生真面目という印象に裏打ちされ、ドイツ製品に対する信頼度は高い。ところが、そんなドイツ人がジョークを語るとは。ただただ、笑うしかなかった。
ただ、流石ドイツ人と思うのは、東西ドイツに分断された頃から、年代ごとにジョークが分類されていること。分類するとは・・・。分断をジョークとして楽しむ余裕に、ドイツという国の成り立ちを垣間見る。
思わず笑ったのは28ページに出ていたジョーク。
第二次世界大戦後、ドイツのミュンヘンに駐屯するアメリカ兵たちは軍紀を犯してビアホールに出かける。その変装した兵隊がⅯP(ミリタリー・ポリス・憲兵)に簡単に見つかってしまった話。現代であれば、人種差別として糾弾されかねないが、アメリカ兵といえども捕まったのは黒人兵だった。
また、イエス・キリストのゴルフを冷かすジョーク、ローマ法王を揶揄するものなどはそのまま日本の仏教文化に置き換えても笑えるものである。
40年以上も前、評者が「ベルリンの壁」を越えて東ドイツに入域したとき、頼み込んで入れてもらったレストランでは相席のカップルとの間には見えない「ベルリンの壁」が築かれていた。異邦人に対し関わりたくないのか、真剣な表情で語る男女に異様な雰囲気を感じた。「食べたらすぐに出て行って」とのウェイトレスの言葉通り、そそくさと店を出るしかなかった。西ベルリンに戻り、ケネディ大統領が東ベルリンを覗いたお立ち台が記念に残っていた。そこから壁向こうの東ベルリンを見ていた時、壁際の印刷工場から突如として爆笑が起こった。なんだ、東ベルリンのドイツ人も笑うのかと思ったが、このジョーク集に納められている話の一つが披露されたのかもしれない。
ドイツのジョークにはアメリカからの輸入があるとのことだが、アメリカに移民したドイツ人が里帰りした時に伝えたものだろう。ともあれ、このドイツのジョーク集のおもしろいところはドイツの戦後をものの見事に笑いで表していることだ。
注意しなければならないのは、この本は電車の中で読まないほうが賢明。不気味な人に間違えられるので。 (終)
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現代日本では、移民が問題になっている。しかし、訪ねた当時の西ドイツにはトルコ移民が次々に入ってきていた。敗戦間際のナチス・ドイツに欧州の国々が火事場泥棒のように宣戦布告をする。戦勝国として利権にありつくためだが、トルコだけは宣戦布告をしなかった。その恩義から、西ドイツはトルコ移民を優遇したのだった。
そういえば、私が大学でドイツ語専攻だったと知ると、やはり大学でドイツ語を履修した経験者はジョークを言ってくる。「ウント・フンバルト・タント・デル(ドイツ語)には、苦労しましたね」と。
これ、毎度おなじみの臭い落ちです。

























