浦辺登の読書館(書評)

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『知の噴火口』大嶋仁著、福岡ペン倶楽部 令和3年5月4日

・不思議なご縁の記念すべき一書だが、祈念すべき一書でもある

 

副題に「九州の思想をたどる」と記された本書は、150ページ余、全6章で構成されている。その目次を追ってみても、実に、日本の近代に影響を及ぼした九州の人、団体、事件が並んでいる。いずれも興味深い。一つの項目がおよそ2ページに納まっている。故に、すぐさま読了できるかといえば、さにあらず。実に、一言一句を玩味し、咀嚼しなければ、先に進めない。

まず、序章の7「三浦梅園」が手ごわい。しかし、発行所である「福岡ペン倶楽部」で著者の講演を拝聴した事から、梅園が説く「反観合一」という言葉が腑に落ちた。福澤諭吉の「矛盾」した論に理解しがたいものがあったが、梅園の影響を受けたと思える福澤だけに、「一身二生」なのだと。

第1章の10「浦上天主堂と原爆投下」では、「国家を聖とする人間」、「国家を超えたものを聖とする人間」の違いを知る事ができた。私事ながら、筆者は若き日、ドイツ(当時は西ドイツ)を旅している時、アメリカ軍の爆撃被害を受けた教会堂を幾つも目にした。攻守の双方が同じキリスト教徒でありながら、このような仕業を簡単にやってのける事実に驚いた。日本人学生と議論を続けたのを思い出す。更には、現在の東京九段にある靖国神社である。境内には、飲食の売店、土産物店、ベンチでは食事をする人、読書する人がいる。側には、「一杯の水」に苦しんだ兵士の碑、モニュメントがありながら。

第2章の5には帆足万里が登場し、なんといっても、志筑忠雄の名前があるのが、実に嬉しい。語学の天才とオランダ人が絶賛するオランダ通詞のことを、現代日本でどれほどの人が知っているだろうか。「名詞」「動詞」という文法用語を生み出し、今では日常に使っている「真空」という言葉も志筑が考えた。明治以降の日本が急速な西洋近代化を図れたのも、この志筑がいたればこそなのだが・・・。

序章の「日本思想史と九州」、第1章の「聖と俗 九州の宗教思想は熱い」、第2章「近代科学への道 九州は科学思想の先進地帯」、第3章「乱と役 反権力の闘いは九州から起こる」、第4章「権力と反権力 社会思想をはばたかせる九州人」、第5章「新しい社会に向けて 九州で生まれた近代ジャーナリズム」と続く。西日本新聞に20年ほど前に連載され、刊行もされたが絶版。その復刻版だけに、読めば、読むほど、深く、速読するのが惜しい。

蛇足ながら、「初版あとがき」を読み、懐かしい方の名前があった。山で遭難し亡くなられた野中彰久氏である。筆者が西日本新聞に書評を寄稿している時の担当であった。さらに、これはもう、驚きでしかないが、「復刻版あとがき」での川崎隆生氏だ。10年ほど前、東京で会ったのが最初だった。その川崎氏が、「福岡ペン倶楽部」での著者の講演終了からわずか一週間。帰らぬ人となった。本書は、実に、記念すべき一書であり、祈念すべき一書となったのだった。

『拉致問題と日朝関係』村主道美著、集広舎 令和3年4月15日

・義憤に燃える著者の執念が

 

本書は北朝鮮による日本人拉致被害についての論考。3部構成480ページ弱、1ページ平均700文字という大部だけに、読み下すことに躊躇を覚える。しかし、拉致問題についての3冊を1冊にまとめたと思えば良い。

まず、日本人の拉致被害が広く認識されたのは、昭和62年(1987)11月29日の大韓航空機爆破事件だった。この事件では、自殺に失敗した北朝鮮の工作員金賢姫の自白から、日本人拉致被害者の存在が明らかになった。平成14年(2002)9月の小泉純一郎首相(当時)の訪朝により、日本人拉致被害者5名が帰国。このことで、北朝鮮による組織的犯罪が確定した。

しかし、この一連の拉致事件の背景に浮かび上がるのは、日本の政界、官界、財界の「今だけ、カネだけ、自分だけ」という無責任体質だ。加えれば、今や「進歩的知識人」と揶揄される大学教員、評論家の無関心ぶり。これらの政官財、進歩的知識人に対し、激しい怒りを覚える。まさに、「国交正常化」「国益」という美名に酔いしれる売国奴集団。そのごく一部の名前を記せば、政界では金丸信、村山富一、土井たか子、官界では外務省の阿南惟茂、槙田邦彦がいる。特に、槙田などは「(拉致された)たった十人のことで、国交正常化が止まっていいのか」と発言。国賊の何者でもない。(175ページ)この妄言ともとれる発言の裏付けは「児戯としての外交論」(188ページ)に詳しいが、稚拙な外交の背後に外務省チャイナ・スクールの存在がある。対中外交でのポイントを稼ぐことで外務省の官僚は自己の出世に利用するのである。

無知な与野党の国会議員、強欲な上級国民の外務官僚、対中ビジネスを促進したい財界人。これら三悪の巨魁がタッグを組んで権力を乱用した結果、北朝鮮による日本人拉致被害者救出を阻害したのだ。この劣化した日本の現実は政官財だけではなく、警察、自衛隊、海上保安庁など、国家国民を保護すべき組織までが「機能不全」に陥っていることに、愕然とする。

けれども、最も問題なのは日本国民ではないか。マスコミ報道に疑問を懐かず、日々、自身が幸せに過ごすことができればヨシとする風潮。「人権」「人道」という「正義の剣」を振りかざしながら、拉致被害者の「人権」は無視し、北朝鮮への「人道」支援をとの矛盾を口にする。

最終ページ最終行の「人権の革命的改善は、市場経済になっても、改革開放によっても、実現しないことは既に西側諸国との国交正常化、改革開放以後の中国の例が示している。全体主義国はいかに社会の民主化要求を封印するかを学び始めている」という著者の言葉は、ミャンマー、香港の現実に恐ろしいほど、ピタリと当て嵌まる。

本書は拉致問題に特化した一冊だが、どの章、どのページから読み進んでも問題点が要約され、各部の最終には引用したマスコミ媒体、文献、発言の事実が確認できるようになっている。拉致問題から失敗と成功を学ぶことは多い。マスコミ関係者、研究者にとって必携の一冊になるだろう。

『3つの用意』福永博建築研究所著、海鳥社 令和3年3月31日

・道義国家日本の建設手段としての3つの用意

 

本書の「3つ」の用意という表題、著したのが建築研究所ということから、建築設計におけるノウハウ本と思われる方が多いのではないだろうか。しかし、本書における「3つ」とは、1・田んぼで電気をつくる、2・マンションを無料で建て替える、3・シルバータウンをつくるという3つの目的のことだ。

田んぼで電気をつくることについては、同研究所が刊行しておる『田んぼの発電所』(海鳥社)に詳しいが、耕作地である田んぼを有効利用し、その上面に太陽光パネルを張り巡らせて発電、売電するという仕組み。農家の現金収入につなげる目的がある。この田んぼでの太陽光発電が可能ならば、側溝での小型水力発電、小型風力発電、さらには里山の間伐材をチップにしての火力発電も可能だ。売電だけではなく、自家消費、温室栽培の暖房、電気自動車への充電などもできる。特に、過疎地ではガソリンスタンド不足が懸念されるだけに、電気自動車、果ては電気トラクターも考えても良いのではと思う。

マンションを無料で建て替えるという目的は、大阪の千里ニュータウンの老朽化に伴う建て替えが容易に進まない現状を考えても、有効な手段と考える。この建て替え時、CLT(クロス・ラミネイティッド・ティンパー)という異なる木材を張り合わせた建材を利用すれば、国内の山林資源の再利用が可能になる。海外では木造高層ビルが建設されており、このことも視野に入れての建て替えを進めたらオモシロイと思った。

シルバータウンをつくるにおいては、すでにモデルケースがある。ゴルフ場、テニスコート、温泉、医療施設を併設したものだが、有機野菜を育てるハウスがあれば良いだろうなと思った。更には、昨今のコロナ禍で郊外を求める目的からもシルバータウンは有用だ。ただ、リモート・ワークのためのインターネット環境を整備しなければならないだろう。電気のコンセントのように、各戸建て住宅に有線でのインターネットを敷設すればすむのではないか。できれば、テレビ画面がパソコン画面に転用できれば、高齢者でも操作は簡単ではないだろうか。

と、様々な構想が「3つの用意」から膨らむ。一極集中を緩和することで、資本主義の過度な進行によって生じた資源の無駄遣いを減らすことができる。解決しなければならない問題は多々あるが、少しでも改善することで自国のみならず、他国への支援に展開するものと考える。このことは日本を道義国家へと導く道標になるものと確信する。

『里山資本主義』藻谷浩介、NHK広島取材班著、角川書店 令和3年3月29日

地産地消の有用性を証明

 

本書を手にした背景は、『3つの用意』(福永博建築研究所)の内容を更に深く理解したいと思ってだった。田んぼで発電するなどを提唱しているが、手段は異なるものの、本書の目的と同じ。その手段の相違を確認したいと思ったからだった。

本書は第1章から第5章で構成されているが、その第1章に岡山県真庭市で行われている木材チップでの発電が紹介されていた。国土のおよそ7割が山林という日本。それでいて「安い」という理由から木材を輸入し、その結果、住宅建材を目的として植林したスギやヒノキの山林が荒地となっている。田畑と同じく、山林も手入れをしなければ荒廃するばかり。みすみす、大切な資源を放置しているというのが現実だ。その木材をチップにして、エネルギーに転換する。万が一の災害や海峡封鎖による石油の輸入が停止された場合も回避できる。いわば、エネルギーの地産地消である。

さらに、第2章では、異なる木材を張り合わせて建築資材に利用できることに驚く。それも一般の戸建て住宅ではなく、ビルまでできてしまうことに驚愕する。第1章、第2章だけでも、一読に値する。

第3章は「グローバル経済からの奴隷解放」という衝撃的なタイトルだが、やみくもにグローバル化を推奨、称賛してきた向きには「自国第一主義」に捉えるかもしれない。しかし、そうではない。右肩上がりの経済成長ではなく、人があってこその経済であり、その人の生活における充足感を高めるための内容だ。いわば、数値のみで評価する経済至上主義ではなく、数値に表れない満足度をという提案である。このことは、コロナ禍、目に見えないウイルスによって、経済基盤がいかに脆弱であるかを認識されたのではないだろうか。拡大一途の経済成長過程で、他国から資源を輸入し、廃棄することは他国への「侵略」であり、グローバル経済とはいわない。

本書を読み進みながら疑問に思うのは、里山でのトイレはどうなっているのかということだった。都会から里山に移り住みたがらない理由の一つに、水洗トイレではないからという意見がある。さらに、インターネットなどの通信回線の不備もある。里山という地域だけの有線、テレビ画面がそのままパソコン画面に転用できれば、高齢者といえども用意に里山暮らしを楽しめるのではと思った。いずれにしても、本書が2014年の新書大賞を受賞した理由がよく分かる。地産地消の有用性を証明しているからだ。

尚、木材をエネルギーとして利用しているオーストリアが紹介されていた。地下資源に恵まれない国との記述があるが、ウィーン郊外には油田があり、オーストリアは産油国である。隣国のナチス・ドイツがオーストリアを併合した背景には、戦争遂行に不可欠な油田を確保する目的があったからだ。

『月形洗蔵』力武豊隆著、のぶ工房  令和3年3月28日

・従前の維新史の誤解を解く一書

 

本書は筑前(福岡藩)勤皇党の月形洗蔵を中心に据えた維新史だ。従来、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の印象が強いため、薩長同盟は坂本龍馬が一人で為したものと信じられている。しかし、龍馬以前に薩摩と長州との連携は筑前勤皇党によって成し遂げられていた。その中心をなすのが月形洗蔵だが、筑前福岡藩の内訌(内紛)で、闇に封じられた洗蔵による薩長連合の経緯を述べたもの。

月形洗蔵については、「辛酉の獄」において幽閉された際の石碑、菩提寺の少林寺に遺る月形家三代の墓碑、月形家住居跡碑が遺っている。しかしながら、いったい月形が何を成し遂げたのか、どのような人物であったのかは、輪郭程度でしかわからない。長州藩の高杉晋作、薩摩藩の西郷隆盛という両雄を仲介し、薩長和解の労をとったにも関わらずである。

著者は、およそ10年の歳月を要し、全8章、人名録などを付して300ページに及ぶ力作を完結させた。事実の裏付けのため、地道に一次資料を読み説いていった姿勢には敬服する。今でこそ、「維新の策源地・太宰府」と言われるが、それ以前は、維新史の中心は京都であり、薩摩に長州だった。「学問の神様」太宰府天満宮という先入観が強いからか、維新史にまで関心が向かなかったのは致しかたない。更には、月形洗蔵らが筑前福岡藩の内訌である「乙丑の獄」で壊滅的打撃を受けたのも大きい。それら陰に隠れた部分が、ようやくにして陽の目をみるに至った。

しかしながら、なぜ、今まで月形洗蔵の確たる評伝が存在しなかったのか。単なる、一地方史の人ととらえられていたのか。それとも、藩主の黒田長溥に遠慮したのか、いずれかは分からない。従前のフィクションであれ、維新史であれ、本書を熟読して理解をさらに進めなければと思うが、ただただ、著者の努力に感謝するのみ。

尚、薩長連合は岩国藩主の吉川経幹が早くから進めていたとの話がある。本書を読む限り、長州藩主に対する薩長和解工作の説得の使者であったと見るべきだろう。

『戦争と農業』藤原辰史著、インターナショナル新書  令和3年3月24日

・物事は、両刃の剣

 

読み始めて早々、大きな関心を懐いたのが太平洋の島々の争奪戦だった。従来、鯨油を目的とする捕鯨船の停泊地としか見ていなかった。しかし、島に堆積された海鳥の化石化したフンが農作物を育てるチッソ、リンを含んでいる。それを獲得できることが自国の農産物の収穫を増大させることにつながることから、諸国が争奪戦を繰り広げていた。そう考えると、尖閣諸島、南沙諸島を中国共産党が求める背景に、食糧増産につなげたい目論見が見えた気がする。

本書は、この農業における肥料の問題から、機械化、農薬、品種改良にまで及んだ論説で構成されている。トラクターは戦車に、化学肥料は火薬に、農薬が毒ガスに転用され、農業と軍事とが両刃の剣の関係であることがわかる。要は、用いる人間、権力者が農業に使うか、戦争に使うかの腹一つである。人間を飢餓から救うべく開発された物が、人間を殺戮する道具になった歴史に人間の愚かしさを見る。

もっと、おぞましいのは、戦争における兵糧攻めである。物流ルートを封鎖し、敵国の婦女子に至るまでを殲滅させるというもの。大量破壊兵器を使用せずとも、食糧の供給ルートを遮断すれば容易であり、現場を見ずして殺戮することができる。

大量に、効率的に動植物を育てたいという欲望から品種改良が進んだが、これが狂牛病、鳥インフルエンザというパンデミックを引き起こした。現代日本における食糧廃棄率は30%を超えるというが、そのことがパンデミックの一因というのも皮肉なもの。フードバンクなど組織的活動はあるが、庶民の意識改革が進まない限り、今後も、様々な食物連鎖にも似た危機が人間を襲うだろう。

まず諸問題への対処として、大量生産、大量消費における食物廃棄率を下げる工夫、意識改革だろう。次に、日本の自治体が、食糧自給率を上げる事。つまり、地産地消だが、それには、地方への移住は欠かせない。政府主導の地方創成から地域主導の地方創成である。コロナ禍の今、足元を見つめ直す良い時期だが、本書はそのための参考書である。

惜しむらくは、スターリンのウクライナでの食糧徴発で400万人が餓死したこと。中国国民党が黄河を決壊させて100万人ともいわれる餓死者を出し、中国人難民に日本陸軍が食糧支援をしたことなども述べて欲しかった。

改・姫田小夏著『ポストコロナと中国の世界観』集広舎 令和3年4月号『月間日本』掲載

本書は、上海と北京で日本人向けビジネス雑誌を創刊した姫田小夏氏のレポートである。

レポートとはいえ、中国の事情を紹介しながらも、日本の危機感喪失の実態を諸々指摘する。その一つが、マスクの不足。2011年の東日本大震災では、マスクと防護服は必須だった。それにも関わらず、新型コロナウイルスの発生においてマスクに防護服が大幅に不足した。生産拠点を中国に移転したままが要因だが、この事は悔やんでも悔やみきれない。緊急事態において機能不全に陥る原因を幾つも気づかされた。

新型コロナウイルス発生後、世界は中国バッシングに集中し、怒りの矛先は世界保健機関(WHO)にも向いた。テドロス事務局長は中国擁護ともとられる発言に終始し、更なる疑惑を増加させた。しかし、半世紀以上に渡り中国からの医療支援を受けたアフリカ諸国として、テドロス氏は当たり障りのない発言しか許されなかったのだ。平常、日本のマスコミが報じない中国とアフリカの関係を著者は見事に暴いてみせた。

本書は3部構成になっている。第1部は「新型コロナウイルスが直撃した中国」、第2部が「民主と独裁、米中の価値観の対立」、第3部が「中国が変える世界のビジネス環境」である。なかでも、筆者が特に気になったのは、第2部第5章の「香港問題と中国」だった。現在、香港の民主化運動に対し、中国共産党の圧力がかかっている。この過程を著者は解いてみせるが、中国からのインバウンドを受け入れた結果だった。

では、肝心の日本はと考えるヒントは、第7章の「アジアで起きる地殻変動」である。インドと台湾の関係強化の仲介が、一つの展望として残されている。

戦後75年、アメリカ追従で済んだ日本だった。しかし、長大な構想の下、中国が刻々と世界に手を打っていたことに驚かされる。新型コロナウイルスの発生は、日本人に独立国家としての覚醒を求めている。本書は警告の書として読まれたい。

『田んぼの発電所』福永博建築研究所、海鳥社 令和3年3月8日

・海峡封鎖に備えて、地産地消のエネルギーを

 

明治元年(1868)からおよそ100年、日本は戦争の渦中にあった。日清戦争(明治27年~28年、1894~95)、日露戦争(明治37年~38年、1904~05)は、国家(国土、国民、主権)を防衛するための戦いだった。しかし、大正3年(1914)に起きた世界大戦(第一次)、大正6年(1917)のシベリア出兵、そして、昭和16年(1941)の第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争、アジア・太平洋戦争)を俯瞰すると、経済を主軸とする戦いであった。

この第二次世界大戦は、日本やドイツの軍国主義が引き起こしたといわれる。しかし、その日本やドイツが敗戦しても、平和の時代は訪れなかった。昭和25年(1950)には朝鮮戦争、昭和40年(1965)にはベトナム戦争が起きた。日本は間接的にこれらの戦争に関係していた。そのベトナム戦争が終決したのは昭和50年(1975)のことだった。大義名分は資本主義と共産主義の思想の戦いといわれたが、資源確保、及びその資源を安全に流通させるための戦争だった。

日本は、石油、ガス、電気は欠かすことができない。ホルムズ海峡、マラッカ海峡を封鎖されれば、資源は届かない。なんとかしなければ・・・。そこで、著者は冷静に日本の自立の道を考えた。その日本の環境を振り返れば、資源を得られる場所がある。それが「田んぼ」だった。通常、田んぼは稲を育て、食の基本となる米を収穫する場だ。米を収穫した後、麦を植える農家もある。しかしながら、海外から安い農産物が輸入できるようになると、田んぼだけの収益だけでは、農家は生活できない。そこで、現金を得るために出稼ぎに行く。何か、現金を得る術を生みださなければ・・・。そこで考えられたのが「田んぼの発電所」だった。稲を育てながら発電をし、その電気を現金に換えるというもの。

食糧の自給、電力の自給を図る事で他国を間接的に「侵略」しなくとも良いようにとの考えが本書の根底にある。電力の安定供給という課題は残されているが、想定可能な実験は進めておくべきと考える。新型コロナ・ウイルスの発生ではマスク、防護服が入手できなかった。危機管理としての自給自足、地産地消の考えが無かったからだ。現在の日本経済の下支えとしての「田んぼ発電所」の電気供給量ははるかに少ない。しかし、機能不全に陥る前に、備える手段として考えておく必要はある。

常夏のハワイでは太陽光発電のエネルギーを電気自動車に利用している。「田んぼ発電所」のエネルギーも電気自動車に供給する日が近いかもしれない。特に、過疎地ではガソリンスタンドが消滅しているだけに、「田んぼ発電所」の電気を電気自動車に利用すれば良いのではと考える。
                                   以上

『ブレグジット狂騒曲』ブレイディ・みかこ著、弦書房 令和3年3月5日

・「経済政策でも人は死ぬ」という現実

 

本冊子は、2017年8月19日に福岡ユネスコ協会で開かれた講演会「英国のいま、そして日本は?」の講演録である。

まず、表題のブレグジットという言葉に馴染みがないが、Britain(英国)と Exit(離脱)という言葉を組み合わせた造語。つまり、イギリスのEU(ヨーロッパ連合)離脱問題を論じる際に誕生した言葉である。このイギリスのEU離脱については、日本のテレビニュースでも盛んに報道され、在英日本企業の英国離れなど、経済的な損失を中心に語られることが多かった。しかし、なぜ、イギリスが離脱を選択したのか。国民投票における結果、そこに至る過程を述べたものが本冊子である。

著者のブレイディ・みかこさんは、福岡市出身。地元の著名な高校を卒業したものの、進学せずに働き、ロック好きが高じてイギリスで働き、定住することに。この経緯は著者の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に詳しい。さらには、グローバル化、多様性社会をと叫ばれる昨今だが、その先駆者であるイギリスではEUに加盟した結果として様々な障害が発生した。ブレイディ・みかこさんの言葉ではないが、「多様性は地雷原を進むがごとく」だ。

本題のイギリスのEU離脱の革新的な問題は、「移民制限のほうが単一市場に残ることより重要」という意見と「移民制限より単一市場に残るほうが大事」という主張との対立だった。移民を受け入れ、多文化共生を体験したイギリスでは、様々な文化摩擦が各地域で起きた。もともと、貴族を抱える階級社会のイギリスだが、そこに民族差別、階級差別が加わり、経済格差も大きい。上下社会であり、上下社会を維持するイギリスに異種が混在するとどうなるか。国柄を取るか、経済を取るかの、究極の選択がイギリスのEU離脱の背景だった。

巻末に質疑応答の箇所も記されていたが、その中で感心したのが資格制度だった。イギリスで保育士の資格を取得したブレイディ・みかこさんだが、職務に関する知識、経験だけではなく、マクロ(なぜなのか?背景は何なのか?など、政治、経済、法律に至るまでを理解する)についても必須となっていることだった。

このことは、「経済政策でも人は死ぬのです」という言葉に表れている。現場で働く保育士といえども、社会が分からなければ、社会全体の問題解決につながらないということだ。

冒頭、日本の識者たちが、イギリスのEU離脱とトランプ・アメリカ大統領誕生の背景を「グローバル化と反グローバル化」で捉えて論評していたが、それは違うとブレイディ・みかこさんは述べる。このことを、具体的に支持者の階層をもって解説していた。このことも、イギリスにおける資格制度のマクロ、ミクロの視点を持つという過程の相違であると思った。同時に、ブレイディ・みかこさんの著書が支持される背景を垣間見た気がした。
                                     以上

『五人の庄屋の物語』家庭読本編纂会編、明成社 令和3年3月2日

・後世に伝えたい物語

 

小学生の副読本として作成された一冊。「五人の庄屋」「青の洞門」「佐吉と自動織機」「夕日に映えた柿の色」「通潤橋」「稲むらの火」の6つの物語が収められている。いずれの話も、どこかで一度は読んだ記憶のあるものばかり。

しかし、今回、改めて読み返してみて、これは是非とも、後世に遺さなければならない話と思った。大東亜戦争(太平洋戦争、アジア・太平洋戦争)敗戦後、占領軍の支配下を経て、物質的な充足を満たしたものの、「何か」不足を感じる。それは、生命には限りがあり、人生の目的を果たすために現世があることを教えていないことだ。試験で良い点数を取り、良い学校に進学し、良い企業に就職して、良い待遇を受ける。これが、敗戦後の日本社会の成功物語だった。

ところが、昔の日本人は「世の為、人の為、国の為」として、公に努める人々を物語として伝えてきた。戦後の日本において、家族制度を失い、先人の遺業を語る老人たちが家庭にいない。道徳教育も含めて、子供たちに物語をしてくれる家族がいない。その代役として、本書は実によい教育のお手本ではないか。他者に勧めたくなる内容だ。

子供でも読めるようにフリガナを付し、難解な単語には補足がつけられている。さらには、挿絵は西島伊佐雄。大人が読んでも、十二分に楽しめ、感動する。

本書の表題の脇に「アフガニスタン かんがい事業に生きる」と記されている。アフガニスタンで銃弾に倒れた医師・中村哲さんのことだが、現代においても、カンボジアで地雷撤去活動を継続される大谷賢二氏、ミャンマーで部族間対立を収め、旧日本兵の遺骨収集を続けられる井本勝幸氏、ミャンマーで医療活動を続ける名知仁子氏がいる。その前に、インドの砂漠を緑に変えた杉山龍丸さんの偉業も広く、後世に伝えたい。
                                     以上

『人類の敵』掛谷英紀著、集広舎  令和3年2月25日

・ビッグデータから見える「左翼」への傾向と対策

本書の著者は、筑波大学でシステム情報系の准教授を務めるメディア工学の専門家。『人類の敵』という表題、帯のバイデン大統領、習近平国家主席の顔写真から、新型コロナウイルス対策の関係書と思ってしまう。しかし、さにあらず。この両者が今後、世界に引き起こす危険情勢の分析書である。

本書は、第1章から第4章までを24節に分類し、「左翼」「左傾化」「中国共産党」というキーワードで270ページにわたって、危険性を警告する。第1章の「左翼を理解する」は、日本および世界のマスコミの「なんか、おかしい」を見事に炙り出している。それもビッグデータと呼ばれるインターネット上を浮遊する言葉を集約して解析したものだ。ある意味、「左翼」の大好きな科学の分野でもある。この章からは、マスコミを支配する左翼エリートの手法、左翼エリートを論破する手法までが述べられる。

 第2章においては、左翼エリートの巣窟である大学の分析が、実に興味深い。菅政権になって起きた「日本学術会議」の任命問題が、いかに左翼学者のワガママであるかがデータを基に記される。直截に言えば、特権階級の住人が左翼エリートである。革命における階級闘争では真っ先に討伐されなければならない輩なのだ。菅総理も、このデータを基に答弁していれば、野党の質疑を片っ端から論破していたのではないか。

第3章では、左翼の思想が人間社会の破壊しか考えていない悪魔の思想であることが見えてくる。簡単に言えば、宗教の否定でも、科学の尊重でもなく、ナルシストである。それも、自身が全知全能の神であると信じる宗教団体の熱烈信者である。ただ、「左翼」のことだけではなく、自集団勝手の「右翼」にも「似た者同士」として著者が評している点もオモシロイ。

そして、本書の肝ともいうべきものが第4章の「中国共産党とどう戦うか」である。世界の政治家たちが無法国家中国を国際社会に取り込めば国際ルールに従い、民主化するものと判断したのが間違いの始まりだった。天安門事件での反省もなく、事件そのものも無かった事にし、軍事大国化して他国を侵略、経済も侵略して平気。批判すれば逆切れして反論するのみ。ちょうど筆者がこの一文を書き進んでいる時、バイデン大統領がウイグル、チベット、内モンゴル、台湾は中国の統一過程における内政であるとして、何ら干渉はしないと演説した。CNNはこの箇所はカットして報じた。このことで、日本の著名なニュース解説者は、バイデンは人権問題を憂慮していると真逆のことを述べた。日本のマスコミ報道が、いかに偏向しているかの具体例である。

この日本に迫りくる危機、策略に気づいて欲しいと、本書は訴える。人類の敵に対峙し、回避するためにも、本書を参考にして欲しい。

                                   以上

『今読めない読みたい本』出久根達郎著、ポプラ社 令和3年1月27日

・本は時代の証人である


いつしか、昭和という時代がノスタルジーの世界になった。貧しかった。とにかく、貧しかった。普段、静かな男が、突如、酒を飲んで狂暴になる。戦場での過酷な場面。取り戻すことのできない自身の人生。誰もが、抑えに抑えていた感情が爆発するのが、安酒を飲んだ瞬間だった。あんな、時代の何が良かったのか・・・。しかし、貧しかったけれどあの頃は良かったと、本書を読んで思ってしまうのは、なぜだろうか。

1部には49本、2部には19本の本にまつわるエッセイが収録されている。その中の「勤労中学生」は夜間中学生の生活記録である『電灯のある教室』という本から引用した内容だ。義務教育でありながら、夜間でなければ中学校に通えない青少年がいたことを知る。更には、昨今、不登校が問題になっているが昭和31年(1956)当時、長期欠席生徒数が全国に13万人もいたことが報告されている。親の病気や戦争による家庭崩壊から学校に通えないというのが、その半数以上を占めている。

そうかと思えば、「連呼」というエッセイでは、NHKラジオのアナウンサーであった和田信賢が、突如入ってきた大本営発表のニュースに「軍艦マーチ」を使った裏話が紹介されている。結果、筆者が通っていた保育園の近くには米軍のハウスがあり、米軍兵士の子供達に通せんぼをされていじめられた。親達からは決して逆らってはいけないと強く諭されていた覚えがある。何も悪いことをしていなくても、子供ながらに戦争に負けるとは惨めなことであると思った。朝鮮戦争後の板付基地(現在の福岡国際空港)周辺の、我が物顔で飛び回る米軍機には敵わなかった。金網の外から窺う米軍住宅は豊かさの象徴だった。

70編弱の本にまつわるエッセイが収められているが、「なにくそ あとがきにかえて」に紹介してある昭和三十二年の映画「つづり方兄妹」は戦後の貧困の象徴のようなものである。幼い頃、白黒テレビでこの映画を見た覚えがあるだけに、昭和三十年代を貧しいけれども希望に満ちた日々であったという風に受け取られるのには抵抗がある。そんな鬱陶しい話は「ごめん!」と思う向きには、「司馬さんの蔵書」という司馬遼太郎の執筆に関する参考文献の話は一読に値すると思う。

出久根達郎氏(1944~、昭和19~、直木賞受賞作家)の「本は時代の証人である」という言葉に強く感じ入った。しかしながら、インターネットに寄稿した書評も、いつかは「時代の一証人」になるのだろうか・・・と思った。
                                     以上

『魔群の通過』山田風太郎著、ちくま文庫 ・水戸藩の骨肉の争いを描いた物語 令和3年1月10日

・水戸藩の骨肉の争いを描いた物語

本作品は幕末の水戸藩を舞台にした天狗党(尊王攘夷派)の顛末を描いた物語である。この小説を読む前、吉村昭の『天狗争乱』を読了したが、同じ天狗党を扱った内容でありながら、読みやすさと印象は大きく分かれる。

吉村昭の場合は膨大な文献資料から事件を忠実に描いている。山田風太郎の場合は事件の渦中から、少しばかり離れた位置に立って、物語風に描いている。人情の機微の絶妙さとしては、山田風太郎に軍配をあげたい。山田は資料を渉猟しながらも実際に天狗党たちが通過した断崖絶壁の道も歩いている。地の気、風の音、広大な風景は、やはり、現地を訪ねなければわからない。

元治元年(1864)3月、尊皇攘夷を旗印に、武田耕雲斎、藤田小四郎ら水戸天狗党は決起した。有無を言わせぬ武威によって恐れられた天狗党だが、その天狗党を迎え討ち、通過させた諸藩が残した文書は、偽政者に都合よく書き換えられている。このことを山田は見逃していない。文献資料に忠実に従う事も大切だが、その資料自体の信用度にまで踏み込まねば、実態はわからないということになる。それを看破した山田の眼力に恐れ入った。

もともと、本書を手にしたのは玄洋社の杉山茂丸が遺した「過去帳(交友録)」に横浜富貴楼倉の名前があったからだ。杉山茂丸とは、玄洋社の総帥頭山満と半世紀に渡る盟友関係にあった人だ。その杉山の記録にあった倉の名前が「天下の糸平」こと田中平八(1834~1884、天保5~明治17)の顕彰碑にあるという。碑が立つ東京都墨田区の木母寺を訪ねたが、顕彰碑に手跡を遺すのは、あの伊藤博文だった。倉の名前は、裏面の賛同者の一群のなかにあった。田中は幕末から明治初期、横浜を中心に莫大な富を築き上げた生糸商人であり相場師である。水戸天狗党の決起にも参画したが、維新後は長州藩を後ろ盾に財を成した一人である。倉を介して、杉山茂丸も田中平八と親交があったのではと想像した。

山田はこの天狗党を描くことで主義主張、事件というよりも人間というものの性を描きたかったのだろうが、行間と行間、その後ろに垣間見える大きな主張に考え込んでしまった。この作品を読了し、小説とはなんぞや、しばし、再考したのだった。

同時に、伊藤博文がハルビンで安重根の銃弾に倒れたが、この伊藤の一団の中に室田義文という随行員がいた。この室田は水戸天狗党の一員であった。ここから、伊藤暗殺事件の真実は、銃弾を5発も食らった室田が標的であったのではと考えた。骨肉の争いを演じた、水戸藩の市川党(佐幕派)によるものとして。さほど、水戸藩の分裂は修復しがたい内訌(内紛)だった。

尚、本書では島崎藤村の代表作『夜明け前』の舞台である中山道の木曽路を天狗党が通過した件も紹介されている。併せて『夜明け前』も読まれると、本作品の背景がより深く理解できる。
                                     以上

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ著、新潮社 令和3年1月9日

多様性とは、地雷原を進むがごとく。

本書を手にしたきっかけは、大学時代の恩師が示してくれたからだ。著者のブレイディみかこ氏と恩師の娘さんが高校で同級生という。「娘に勧められてね」と恩師は付け加えた。

著者の通った高校は、福岡藩の藩校の系譜に連なる。旧制中学時代からの卒業生には、政財界は当然の事、医師、文学、芸術の分野に至るまで多士済々。人材を輩出する伝統校であり、有名国立大、私立大への進学率もずば抜けている。ところが著者は進学せず、好きな音楽の道に入り、イギリスに渡った。進学しようと思えば可能だったと思うが、何がなんでも大学という明治近代からの風潮を真逆に行く姿は、階級闘争の革命戦士にも見える。

本書に綴られている16のストーリーには、アイルランド人の夫、その息子とのイギリスでの日常が描かれている。アメリカのような原色が入り乱れる国と比べ、堅実で質素で、伝統を重んじるイギリスと思ってみてしまう。ところが、そこにあるイギリスは、多種多様な移民によって構成される国だった。共通言語として英語があるだけで、そもそもの大英帝国自体が連合国家であることを知れば、何の不思議も無いのかもしれない。

本書に展開する日常のイギリスは、日本にいては到底想像もできない混とんとした社会である。日本でも話題になるLGBT、家庭内暴力、イジメ、ヘイトスピーチ、民族差別、家庭崩壊、その全てがイギリスの日常である。一匹の野生の猿が都心に侵入し、大捕り物になったことが全国ニュースになる日本とは大違いである。唖然、茫然とする話ばかり。「だから、LGBTは・・・」「だから、移民は・・・」と大上段に振りかぶっての討論の前に、根本的な対策を取らなければ日常が進まないのが、イギリスである。だからといって、このイギリスの様を対岸の火事として見てはならない。本書でも、日本社会に潜む問題が炙り出されている。

近年、日本の知識人は「多様性」という言葉に酔いしれている。金科玉条の如く用いる。しかし、本書の帯にもあるように、「多様性ってやつは喧嘩や衝突が絶えない」のだ。ストーリー9の「地雷だらけの多様性ワールド」がそれを如実に指し示している。

本書を深く読み説くには、英国が4つの国で構成される連合国家であること。その中心を成すイングランドが大英帝国として世界を制覇し、植民地を支配していたこと。それらの歴史も踏まえて読むと、より深化した現代イギリスの問題を理解できるだろう。

著者の日常が、大東亜戦争に敗戦し、経済復興を遂げる日本の姿と重なって見えて仕方なかった。初刷りは2019年6月だが、2020年12月で26刷。すでに50万部が売れたという。本を読まなくなった日本で、これほども部数を伸ばす事実に、イギリスの日常が日本社会に忍び寄っていることに日本人が気づき始めたからかもしれない。
                                     以上

『日本がアジアを目覚めさせた』プロビール・ビカシュ・シャーカー著、ハート出版 令和3年1月1日

現代日本人が知らないアジアとの真実


本書の著者、プロビール・ビカシュ・シャーカーはバングラデシュ人だ。1984年(昭和59年)に初来日したが、中曽根康弘(1918~2019、大正7~令和元)首相(当時)が提唱した「留学生10万人計画」での留学生である。以後、日本人女性と結婚し、職を得て、日本で生活を営んでいる。

来日に至る経緯については「おわりに」に述べてあるが、日本に向かう前、父親からパール博士の名前を知らされる。パール博士といっても、現代の日本人でも即座に思い出す人は少ない。75年前の東京裁判こと極東国際軍事裁判で、戦争犯罪人として訴追された日本人被告の全員無罪を主張した判事である。

現代日本において、戦争は絶対悪として教えられる。日本は進んでアジアに「侵略」戦争をした国であるとも教えられる。その戦争を起こした「戦争犯罪人」を無罪であるとパール判事(当時はインド代表)は述べた。そんな判事がいたことを、日本人は知る由もない。故に、被告人全員を無罪としたパール判事の主張は理解されない。加えて、明治時代以降の近現代史を教育現場では教えない。教えることができる教師も少ない。

嘉永6年(1853)、アメリカのパリーが来航し、限定的であった外交が全ての国を対象とするようになった。世界は弱肉強食。欧米による植民地支配の時代だった。日本も一歩間違えば、欧米列強の餌食になっていた事だろう。幸い、先人らの尊い犠牲の上に植民地支配を避けることができた。屈辱的ではあるものの、一応の独立国としての体裁を日本は保つことができた。

その日本にインド独立の闘志ラス・ビハリ・ボースが逃れ来た。そのボースを身命を賭して守り抜いたのが、玄洋社の頭山満らであった。以後、イギリスからの独立を求めるインド人たちへの支援が始まる。その最終が、あの大東亜戦争(太平洋戦争、アジア・太平洋戦争)である。この時、インド軍の先鋒に立ったのが、ネタジことチャンドラ・ボースである。ありとあらゆる資産をイギリスに奪われ、インド人がどれほど飢餓で命を落とそうとも無関係、構いなしのイギリスだった。アジアの人々の生命を助ける解放戦争が大東亜戦争である。その戦争を起こし、欧米の利権を奪ったとして、日本の要人たちが「戦争犯罪人」として処刑されたのである。このような理不尽な歴史を知らずして、日本を「侵略」戦争に駆り立てたとして糾弾することが、いかに愚劣なことであるかがわかるだろう。

外交は、経済的な利害でいかようにも変転する。しかし、真実は、その国の都合で二転三転しない。全7章、その史実が簡潔に述べられている。著者は、この日本人が知らない事実を伝えたかったのだ。

尚、本書に、幾度も名前が登場する岡倉天心の『東洋の理想』は必読の書であることを付け加えておきたい。
                                        以上

『東洋の理想』岡倉天心著、講談社学術文庫 令和2年12月24日

「アジアは一つである。」で始まる岡倉天心(1862~1913、文久2~大正2)の代表作『東洋の理想』は、現代の人々に何を伝えようとしているのか。

もともと、英文で書かれた本書だが、その日本語訳を通読すると、西洋文明による物質的豊さは「今だけ、金だけ、自分だけ」の極めて短期的な人の欲望しか表現できない、エゴであると喝破している。

天心は「アジアの思想と文化を託す真の貯蔵庫」「アジア文明の博物館」として、日本を評した。そのアジアとは、インドと中国を含むが、そのインド、中国も時代や地域によって複雑に分かれる。その長い歴史を遡れば遡るほど、文明の糸はからんで、もつれ、系統だった理解を阻害する。しかし、日本においてはその複雑怪奇なアジアの文明を融合させ、人々の生活の中に生かしている。その代表が、日常的に何の疑問も抱かずに眺めている「七福神」だが、その由来を紐解けば、アジア文明の融合体である。このように日本にはアジアの文明が生かされ、生きているのである。

その日本の背景を探ると、万世一系の皇統が途切れることなくアジアを受け入れ、存立していたからだった。本書は第一章から第十五章までで構成されるが、第六章の飛鳥時代から明治時代まで、時代という括りで文明が述べられている。その時代、時代で括る事ができるのも、皇統が続いているからである。人類史の中でも、稀な事実として、はたして、どれほどの日本人が気づいているだろうか。「ユダヤ人とは何か」という定義で考えると、それは人種、民族ではなく、ユダヤ教信徒であることがユダヤ人であるといわれる。さすれば、「日本人とは何か」という定義を考えた時、万世一系の皇統を尊ぶ人を日本人と呼んで良いのではと考える。そのことを如実に気づかせてくれる一書でもあった。

西洋が日本に持ち込んだ近代の一つが近代法だが、かつての日本には複雑な近代法は存在せず、法三章の世界だった。多様性、グローバリズムという言葉が氾濫するが、よくよく見れば、多様性、グローバリズムの縮図が日本である。蒸気と電気のために存在するヨーロッパに対し、アジアの簡素な生活様式こそ、今日的世界の在り方ではないか。ふと、そんな考えも思い浮かぶ。

天心は第十五章の「展望」において、「今もアジアのなすべき仕事は様式を擁護し回復する仕事となる。」と示している。しかし、その天心の説く言葉の前に、「自身は何者であるか」を自問自答しなければならない。アジアは悠久の昔から、人は何故生まれ来たのか、どこに行くのかを一生の課題として求めてきたからだ。

天心は、「われわれの歴史の中に、われわれの未来の秘密が隠されていることを本能的に知っている。」と述べる。そう考えると、歴史に学ぶのは今ではないか。世界がコロナ禍にある時、『東洋の理想』を『人類の理想』に置き換えて読んでみても良いのではないか。
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『日米戦争を策謀したのは誰だ!』 林千勝著、ワック出版 令和2年12月21日

日米戦争は、昭和16年(1941)12月8日のハワイ真珠湾への奇襲攻撃から始まった。そう信じている日本人は多い。しかしながら、近年、江崎道朗氏の先行研究でもわかるように、アメリカによる計画的封鎖に日本側が引き込まれたとの見方に変った。ルーズベルト政権に巣くうコミンテルン・スパイによって日本は追い込まれ、「だまし討ち」に仕立て上げられたのだ。

アメリカ公文書館が公開しているJB355には、やはりコミンテルン・スパイのカナダ人、ラフリン・クリーの名前がある。日本との戦争を提案する「戦争委員会」の報告書にルーズベルト大統領の承認を求めている。その日付は、日本海軍によるハワイ襲撃の、およそ5か月前である。更に、本書では示されてはいないが、JB355の日付と同じ頃、アメリカ領パナマ運河が無通告で封鎖され、防空体制も敷かれた。

今回、近衛文麿を中心として、ロックフェラー財団の影響、日本人共産主義者の動きを見ながら日米戦争を見ていくものだった。敗戦後、東京裁判こと極東国際軍事裁判前に自殺した近衛だったが、某によって殺されたとみるべきだろう。

そう考えれば、東京裁判の被告として巣鴨に収監された松岡洋右、廣田弘毅も口封じの対象であったと見るべきだ。本書の146ページに、スタンレー・K・ホーンベック国務省極東部長の名前が出てくる。この人物については、松岡も廣田も強い関心をもって注視していた。松岡は満鉄総裁時の昭和12年(1937)、満鉄の課長であった武田胤雄に潤沢な予算を付けて、ニューヨーク駐在所長の肩書で渡米させた。同じ頃、第一次近衛内閣の外相であった廣田はニューヨークの若杉要総領事からの報告を受けている。アメリカ共産党が日米の対立を煽り、戦争を画策していると。その背後に、ホーンベックがいると伝えている。この時点で、松岡も廣田も日米戦争不可避と見ていた。

先述のJB355、パナマ運河封鎖、松岡、廣田の情報収集のプロセスを見て行けば、コミンテルン・スパイが日本に戦争を仕掛けたのは明白である。風見章、尾崎秀美、松本重治、白洲次郎、牛場友彦、西園寺公一ら、理想主義のお坊ちゃんたちが、「敗戦革命」に夢とロマンスを抱いたのは、日本にとって大きな不幸だった。没落商店の倅(松岡)、石屋の倅(廣田)など、下賤の成り上がりにしか見えなかったのだろう。

本書を読了し、今の中国共産党の世界覇権が重なって見えて仕方ない。戦後75年、3S(スクリーン、スポーツ、セックス)で洗脳された日本人が、どこで、どのように気づき、日本を守るかを真剣に考えなければならない。そのことを、本書は警告している。過去の事ではない。現実の問題として危機であることをどれほどの日本人が本書を読んで気づくだろうか。

著者には、続いて、警鐘のための作品を世に送り出して欲しい。暴力を肯定する共産主義が世にはびこる限り、戦争は無くならない。全6章、380ページ余に及ぶ本書は、実に重厚にして興味深い警告の書だった。
                                     以上

『幻のえにし』渡辺京二発言集 渡辺京二著、弦書房 令和2年12月12日

語りの名手といわれる渡辺京二の発言


語りというものは、面白い。従前、渡辺京二氏の著作を読み、評もしてきた立場からして、人物的に硬い印象があった。どこか、寄り付きがたいとも。しかし、問われるままに口をついて出てきた発言集の本書からは、渡辺京二という人物が、目前で昔語りの老翁の姿で登場してきた。ふと訪ねた時、「おおっ」と小さく声を発し、「まぁ、茶でも飲んでいけ」といった具合に、逝きし世の面影を語っている。

三部構成、二五〇ページ余の本書では、やはり、第一部の石牟礼道子についての思い出は必読というか、熟読、玩味すべきものだ。本書の表題である「幻のえにし」も、この第一部に含まれる章からとられている。

石牟礼道子は、周囲を巻き込み、そして、巧みに振り回すことができる天才だった。人々は、その石牟礼に従順に従い、使役されることを喜びとした。渡辺氏の語りからは、冷静な立場で、その事々を見ていたかのように語られる。しかし、石牟礼に最も魅了されていたのは、渡辺氏本人である。その事を自覚して、他者のドタバタぶりを面白、おかしく、語っているのが微笑ましかった。

第二部では、熊本在住の作家であえる坂口恭平、スタジオジブリの鈴木敏夫らとの対談である。ここでは言いたい放題。問われるままに、自身の思い、考えを述べていく。その詳細は、ここでは述べない。しかし、谷川雁、吉本隆明と接触した時の話は、なかなか、聞き出せないので、ここも素通りができない。惜しむらくは、三島由紀夫が自決した後、追い腹を切った村上一郎との話が無かったのは残念だった。

 第三部は、第一部、第二部の語りと重複する箇所があるが、ブレがないところから、逆に第一部、第二部の語りの内容に齟齬をきたしていないことが見て取れる。語りは、場所、相手、時間によって尾ひれが付きがちだが、それがない。

全体を読み通して感じたのは、世の中の様々な意見に振り回されるな、ということだった。本書の帯にもあるが、「自分が自分の主人公として独立する、この世(現実)と、もうひとつのこの世(アナザーワールド)のはざまを生きる、とはどういうことか。」自分で考えるという事。それが、自分の人生、生き方を納得できる最上の道ではないか。

もうひとつのこの世。このことを渡辺京二氏に如実に実感させてくれたのが石牟礼道子であった。ゆえに「幻のえにし」なのだ。
                                     以上

『コロナ時代を乗り切ろう』原田義昭著 (集広舎)令和2年12月12日

本書は、第4次安倍改造内閣で環境大臣を務めた原田義昭氏の活動日誌である。令和元年(2019)8月6日から令和2年(2020)9月29日まで、インターネットのフェイスブックに投稿し続けた政治報告だ。220ページ余にわたる内容は、環境大臣として果たした事々、衆議院議員として国事に奔走する姿が赤裸々に綴られている。

読了後、なんともいない爽快感を感じた。中国が尖閣諸島で主権侵害を繰り返すなか、習近平国家主席を「国賓」として招くという矛盾に果敢に挑戦したからだ。真の友好国であるならば、新型コロナ・ウィルス対応で必死の中、領海に公船を乗り込ませるだろうか。強い危機感を抱いた原田氏は、中国大使館で駐日大使に思いのたけをぶつけた。(116ページ)誰もが尻ごみするなか、よくぞ、言ってくださいましたと拍手を贈りたい。

そして、レジ袋の有料化も、いつかは、誰かが先頭きってやり遂げなければならなかった。従前、産業界、人々の批判を恐れ、対応を後回しにしていただけである。たかがレジ袋と思うなかれ。白砂青松といわれた日本の海浜は、ペットボトル、レジ袋、ガラス瓶の破片で汚染され尽くされている。一刻も早い環境回復を考えなければとの決断は称賛に値する。(175ページ)

更には、福島第一原発の処理水の海洋放出、希釈についても。「いつかは、誰かが、決断しなければならない」「先送り、時間稼ぎは子々孫々へのツケ」としての発言だった。その波紋、批判は大きい。勝海舟は福沢諭吉からの批判を受け「行蔵は我に存す、毀誉褒貶は他人の主張」と受け流した。しかし、原田氏は信念をもって、マスコミ対応を行った。それは、やはり、現場に何度も足を運んで現実を見たからに他ならない。(38ページ)

発言し、決断し、信念を貫くだけの話ばかりが綴られているわけではない。つい、ホロリとする良い話もある。それは、原田氏の地元にある「福岡視覚特別支援学校」の開校110周年記念事業での一コマ。生徒たちの生活発表、コーラスなどが披露されても拍手がない。これに違和感を抱いた原田氏が来賓席に向かい「拍手を!」と求めたのである。弱き人、悩める人たちをどう支えるか。それが政治の原点だが、原田氏の仁愛を見た瞬間だった。視覚障害者と聞くと、多くの日本人はヘレン・ケラー女史を想起する。しかし、この「福岡視覚特別支援学校」の校長室には、もう一人、「貝島嘉蔵」の写真が掲げてあった。あの石炭で巨富を築いた貝島太助の実弟だが、全盲ながら実業家として手腕を発揮し、社会福祉事業に貢献した人である。地元福岡でも、貝島嘉蔵の名前をどれほどの人が知っているだろうか。(82ページ)

国家国民の為に為政者は存在する。しかし、一隅を照らす視点がなければ世の中は治まらない。自助と共助の感覚を持つ原田氏の正論は心地よかった。忌憚のない「原田節」をまだまだ聞いてみたいが、選挙民はどう判断するだろうか。
                                     以上

『陸羯南』小野耕資著、K&Kプレス 令和2年12月2日

弘前(青森県)では、粘り強く強情なことを「じょっぱり」という。陸羯南の評伝である本書を読了し、ふと、浮かんだ言葉が「じょっぱり」だ。目前の利益など関係ない。自身の信念を曲げてまでも、他者に阿る事はしない。全十五章、陸羯南の「じょっぱり」人生が満載である。

陸羯南といえば、新聞人として知られ、すでにその評伝も出ている。しかし、なぜ、今、「陸羯南」なのか。それは、現今日本における新聞、テレビ、ラジオという情報媒体の内容が稚拙だからである。まずもって、「面白くない」。なぜ、面白くないか。それは、読者に迎合し、広告収入を優先することから企業に忖度するからである。本来、有料購読者を基盤に新聞経営をしなければならないが、いまや広告主が主体である。編集局の匙加減でせっかくの記事が消滅もする。

さらに、近年、連載、特集記事が少ない。単なる回覧板的な、当たり障りのない記事が多い。これは記者の知識量の少なさにも起因するが、インターネットで流されるニュースのスピード感、画像、動画に軍配が上がる。自然、新聞は不要のものとなる。然らば、新聞の存在意義は何なのか。そのことを、現在の新聞人は真剣に考察しているのだろうか。

やはり、新聞の役割は、為政者が独善に陥り、「裸の王様」を演じる権力を牽制することにある。有料購読者に、社会の在り方を考える機会を提供することにある。意に沿わぬ考えでも、掲載することで、議論の対象とならなければならないはずだ。しかし、新聞の多くが「事なかれ主義」に走り、守りに入っている。この新聞各紙の凋落ぶりに警鐘を鳴らすために、著者は本書を上梓したのである。原点に戻れと。

十五章の終わりに、「現代人は、「愛国」と称してその実政権にすり寄っているだけの人物が多すぎる。」との苦言が呈されている。この言葉の背景には、現代日本の新聞人が「何を言っても無駄」として、事なかれの曖昧な論調を展開している証拠ではないだろうか。読み進みながら、陸羯南であれば現今日本のマスメディアをどのように評しただろうかと想像した。

また、羯南は足尾鉱毒事件を批判した。その足尾鉱毒事件に関わった原敬をどのように見ていたのだろうか。司法省学校時代、校長に逆らったことで退学となった旧知の仲間である。両者の関係性を見ながら、西郷隆盛、大久保利通の最期を連想してしまった。

尚、巻末に人名録が付与されていたならば、陸羯南に交友録にもなるのではと思った。
                                     以上

『徳川幕府が恐れた尾張藩』坪内隆彦著、望楠書房 令和2年11月21日

尾張藩という名を目にして、何を思い浮かべるだろうか。「尾張名古屋は城でもつ」という地口が、すぐさま口に出る。その割に、尾張名古屋に対し、さほど深い関心を抱くわけでもなかった。しかし、本書の第一章から第七章までの目次、小見出しを追っていた時、第七章の「明治維新と尾張藩―栄光と悲劇の結末」での第二節で目が留まった。「徳川慶勝による楠公社造立建議」である。徳川慶勝といえば、元治元年(一八六四)の「長州征伐」での征長総督として、維新史に名を遺す。あらためて、征長総督が尾張藩主であったと再認識する。まずは、第七章を読み進んだ。

幕府の中心を成す徳川家は、基盤のしっかりした一枚岩の関係と思い込んでいた。徳川将軍家を支える佐幕派、朝廷の下に各大名が居並ぶ勤皇派という図式をもって維新史をみていた。しかしながら、それはあくまでも、大きな分類であって、水戸、尾張、紀州の徳川家が夫々の思想を持っていたことに、自身の知識の浅さを恥じた。

水戸学を生み出した水戸藩に対しては、徳川家の中でも異端であると思い込んでいたが、そうではなかった。むしろ、あの「大日本史」編纂に取り組んだ水戸光圀に大きな影響を及ぼしたのが、尾張徳川家であった。その系譜が、幕末の長州征伐での征討総督・徳川慶勝であった。ゆえに、勤皇派の徳川慶勝として「長州解兵」へと進んだのは自然の流れだった。

ちなみに、この「長州解兵」においては薩摩藩の西郷隆盛が慶勝から長州処分を委任されたことで解決したと史書は伝える。しかし、これは、従前の伝え方では不十分であると思った。たまたま、筑前(福岡藩)勤皇党の領袖である加藤司書の顕彰文を読み込んでいたところ、追討総督大納言慶勝卿、成瀬隼人、田宮如雲の名前があることに気づいた。これは、福岡藩の藩校修猷館の教員を務めた正木昌陽が明治三十年に書き起こした撰文にあった。徳川慶勝との関係性を探ってみなければ真実はわからない。

恥の上塗りだが、あの会津藩の松平容保、桑名藩の松平定敬が、徳川慶勝の実弟であった事に、今更ながら、驚いた。一六〇ページ余の一冊ながら、歴史を読み解く視点の偏りに気づかされた一書だった。                     
                                                                                                                                      以上

『回り道を選んだ男たち』小島直記著、新潮社 令和2年11月10日

今年(令和2年、2020)は、三島由紀夫、森田必勝が自決して50年の節目の年になる。この三島の自決後、追い腹を切った男がいる。それが村上一郎という作家だが、あの三島事件の際、市ヶ谷に駆け付け、「俺は、海軍主計大尉だ!開けろ!」と絶叫した。その村上と海軍経理学校での戦友が著者の小島直記だ。本書の296ページから304ページにかけ、村上を含めての海軍時代の戦友の履歴が紹介されている。本書を手にしたきっかけは、この村上一郎の事を少しでも知りたいという欲求からだった。

本書は「明治人の気骨」、「書物の深淵」、「人生紀行」の章からなり、人物評が58話にまとめられている。人物評とは、小さな事実の集積と取捨選択とによって出来上がるといわれる。それぞれの人物の生きざまが興味深く、考えさせられる。著者が論語の裏付けを身体に染みこませた人であると分かる。故に、本書では「明治人の気骨」での人物譚がより一層生きてくる。

127ページの「兆民塾」の一文には、「右翼」とも「テロリスト集団」とも評される玄洋社の事が出てくる。大隈重信に爆裂弾を投じた来島恒喜が中江兆民の門下生であることを知る人は少ない。同じく、「右翼の源流」とも呼ばれる頭山満が、「左翼の源流」である中江兆民と昵懇の仲であることも。日本の敗戦後、右翼と左翼は対立するものと刷り込まれてきたが、「極めれば、右も左も紙一重」という真実をどこかに置き忘れてきたからだ。

「電力の鬼」とも称された松永安左衛門は、プロカメラマンが撮影した一時の姿で評価される。しかし、それは、ファインダーという管見であって、写真を見た者が勝手に松永の面相からイメージを膨らませ、「鬼」と思っているに過ぎない。そんな松永に対する誤解を解いてくれる書でもある。極めつけは、森銑三の名著『史伝閑話』の存在を思い出させてくれたことだった。

まだまだ、知らぬことは多い。もっと学べ、もっと読め。そう示唆してくれた書であり、一日一話、静かに読み込む時間を持ちたいと思わせてくれる書である。
                                     以上

『ミトロヒン文書』山内智恵子著 ワニブックス 令和2年11月8日

あの大東亜戦争(太平洋戦争、アジア・太平洋戦争)が終結して75年。アメリカの軍事力の下、経済発展のみを追求してきた日本。その間、オイル・ショックなど、アメリカの政治事情のダメージを受けながらも、アメリカに依存しておけば日々安寧に過ごすことができた日本だった。

しかし、長い人類の歴史を振り返ってみればわかるが、泰平の世が永遠に続くはずもない。快楽の日々を過ごし、安定成長が続くと信じ、保守的な考えに凝り固まった時から崩壊は始まる。その大きな打撃となったのが、令和元年(2019)末から令和二年(2020)初に出現した新型コロナ・ウィルスだった。欧米先進国での万単位の感染者、死者を報じるニュースに日本も巻き込まれた。後手に回り、無為無策の政府対応に、国民は心理的不安に陥り、経済は大打撃を受けた。ひとえに、海外情報の入手、分析の遅れがもたらした人災に他ならない。早くから、情報機関の創設を図らなければと警鐘を鳴らしていたのが、本書の監修者である江崎道朗氏である。果たして、今回のコロナ騒動において、江崎氏の警告は政府中枢に届いただろうか。

本書の著者は、その江崎氏の資料翻訳、分析を担当されている山内智恵子氏によるものだ。文体、内容は江崎氏に劣らぬものであり、時に軽いジョークを挟んでの語りかける内容も面白い。江崎氏が世に問うたコミンテルンの「ヴェノナ文書」もさることながら、今回のKGBの「ミトロヒン文書」の内容も驚愕だった。本書105ページでは、なぜ、共産主義が各国で支持されたかが示されている。大恐慌とナチス・ドイツのファシズムの台頭という指摘は的を射ている。「資本主義はもうだめだ・・・」とエリートが判断し、共産主義に救いを求めたからに他ならない。

更には、第一次世界大戦での講和条約で再起不能にまでドイツを追い込んだ反動がファシズムとなり、逆に旧連合国を悩ませることになった。ここに旧ソ連は忍び込み、世界支配の謀略戦を展開する。その支配欲はソ連が崩壊したとしても、簡単に治まる気配はない。KGB出身のプーチンがロシアの大統領でいる限り、体制はなんら変わらないと見てよい。

本書の一読後、従前の近現代史の読み直しが必要と感じた。更には、為政者が一時の権力を行使して利得を図ろうとも、必ず崩れ去るという原則を知るべきだろう。

「大衆を味方につけなければ、為政者は見放される。」

かつての徳川幕府の幕臣であった勝海舟が言った言葉だが、まさに歴史はそれらの事実を幾つも証明している。


ちなみに、本書では本名が明かされていない旧ソ連の日本人工作員の名前は『東京を愛したスパイたち』(A・クラーノフ著)に記されている。保守革新に関わらず、日本の新聞社にKGBの工作員が暗躍している事実には戦慄を覚える。共産主義が日本のインテリ層に食い込んだ歴史的背景については、元東大総長の林健太郎著『昭和史と私』がオススメである。両書を熟読されると、より、本書の真実味が増すことだろう。
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『ハンコの文化史』新関欽哉著、PHP新書 令和2年11月2日

「これは差別なのか」

「なぜ、君らが持っているものを呉れないのか」 

「これは差別なのか」

「なぜ、君らが持っているものを呉れないのか」

「なんて、システマティックなものを使っているのか」

これらの言葉は、外資系企業に勤めている時、オーストラリアから転任してきた外人役員がハンコに対して発した言葉である。

日本人従業員は当たり前のように使い、それぞれがオリジナルのハンコを所持している。ハンコは企業が従業員に支給してくれるものと外人役員は思い込んでいた。ゆえに、自分のハンコが無い事に民族差別ではないかと文句を言ったのだ。

欧米では書類の決裁はサインで済ませる。しかし、大量の決裁書類を目の前にし、サインをするのは手が疲れると文句を言う外人役員。日本人はスタンプ・シール(ハンコ)を持っていて、それで処理している。実に便利なものを使っている。外人役員は羨望の眼差しでハンコを見ていたのだった。

監査を務める海外の部員が来日し、法人代表社員、銀行届出印などについて説明する機会があった。国家が法人を証明する機能として、印鑑証明書があることに、「凄い!」と感心しきりだった。日本には、極めて信頼性の高い決済システムがあり、郵便においても内容証明郵便という優れた機能があることも絶賛する。外国人に教えられ初めて理解した印鑑などの機能だった。

ハンコにまつわる意外な経験に接しただけに、ハンコの文化に興味があった。そこで、簡単に読めるものとして本書は便利である。封筒の始まりが粘土であり、その封緘にスタンプが使われていたことが古代欧州の慣習であったこと。さらには、身分の証明として奴隷までもがスタンプを所持していたことに驚く。

ただ、欧州のハンコの文化については詳細に述べられているが、日本については不足を感じる。江戸時代の古文書には、花押、印鑑、筆印、爪印などがあるが、そこまでは言及されていない。

本書で笑ったのは、114ページの金印(漢委奴国王)が発見された場所を博多藩と記していることだった。福岡藩、もしくは黒田家であればわかるが・・・。

今、行政改革でハンコの廃止が話題になっているが、そもそものハンコの歴史を知ってから、現実の状況から判断すべきと考える。

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『漱石の師マードック先生』平川祐弘著、講談社学術文庫 令和2年10月22日

夏目漱石の師としては、東京帝国大学予備門長であった杉浦重剛が知られている。文部省の指示で、登校時の学生は靴を履かなければならなかった。これも、明治の欧化政策の一つだが、これに若き日の漱石は反発心を抱いた。下駄ばきで、校舎の廊下をこれ見よがしに歩いた。そこに出くわしたのが、杉浦予備門長だった。

「夏目、オマエは下駄と靴の底との摩擦面積の比較をしとるのか・・・」

何喰わぬ顔で、漱石の校則違反を見逃した杉浦だった。以後、漱石は終生の師として杉浦を尊敬していた。


そんなエピソードを持つ漱石に、もう一人、師と呼ぶべき人がいた。ジェームス・マードックである。漱石は、このマードック先生からきついスコットランド訛りの英語や歴史を学んだが、休日には早朝から自宅を訪ね、教えを乞う間柄でもあった。


明治四十四年(一九一一)、漱石に文学博士号を授与するとの通知がきた。同じく、医学博士としては、あの野口英世の名前もあった。しかし、漱石は、この文学博士を辞退した。文学博士授与、辞退という一連の報道を新聞は伝えていたが、この頃、鹿児島七校で教鞭をとっていたマードックが漱石に手紙をよこした。


「今回の事(文学博士号辞退)は君がモラル・バックボーンを有している証拠になるから目出度(めでたい)」との文面だった。

この漱石とマードックの人間関係は、日本の西洋化が過熱する中において、文明とは何ぞやと考えさせてくれる貴重な一編である。

この漱石とマードックとの関係性に続き、本書の後編では、漱石と森鷗外との比較文学の検討だった。漢文の素養を叩き込まれた両者の小説文体の比較は、それぞれが留学した国の相違も見て取れる。大英帝国の首都ロンドンに留学した漱石。欧州の新興国であるドイツに留学した鷗外。漱石、鷗外が漢文という基礎固めをした上に、英語、ドイツ語の影響が、文学にどのような反映したのか。いずれも甲乙つけがたいが、日本の文明度の高さを窺い知る検証は面白いものだった。

「あとがき」を読むと、著者の論文に対し、西尾幹二、竹内好などの研究者からの批判があったことを関心をもって読んだ。

昨今、名誉を欲しがる輩が多い中、明治の男の心意気とでもいうべき姿を漱石、マードックに見い出し、心地よい読後感に浸ることができた。

                                                                                                                                    以上

「福岡地方史研究」58号 令和2年9月22日

元号「令和」の発表と同時に、福岡県太宰府市にある坂本八幡宮が一躍、脚光を浴びた。この坂本八幡宮が、大伴旅人の自邸跡であると某全国区の報道機関が配信したからだ。元号「令和」の令和は大伴旅人が詠んだ歌の中にあり、その歌を詠んだ「梅花の宴」が開かれたのが大伴旅人邸。日本全国から、その大伴旅人邸跡を目指して人々がやってきた。神社周辺は大渋滞を起こし、氏子衆も慣れぬご朱印発行に悲鳴を上げた。

そんな様を、冷ややかに見ていたのが、本書の「大伴旅人の館跡(大宰帥公邸)を探る」として寄稿された赤司善彦氏である。氏は、大伴旅人も赴任した大宰府政庁周辺の発掘調査に関わった方だ。赤司氏が言われるには、「坂本八幡宮は大伴旅人邸跡と言われる候補の一つでしかない」と。発掘調査時の記録写真も挿入しての論文は一読に値する。某全国区の報道機関の作為的ともいえる報道だったが、その後、訂正の報道がなされたとは耳にしない。ふと、国民を煽る、かつての大本営発表を想起した。

今回、本号は太宰府特集だが、太宰府天満宮参道にある茶店「松屋」に遺る古文書の紹介が出ている。太宰府天満宮は「維新の策源地」といわれる。その「松屋」は旧薩摩藩の定宿であり、西郷隆盛、大久保利通、平野國臣、勤皇僧月照の手跡を目にすることができる。悲しいかな、その筆文字を正確に読み下すことは難しい。しかし、それらの翻刻が竹川克幸氏(日本経済大学教授)によって詳細に述べられているのは、ありがたい。


また、本誌を発行している「福岡地方史研究会」会長の石瀧豊美氏による寄稿「案外わがままだった太宰府の五卿」も興味深い。一般に、「司馬遼太郎はよく調べている」として小説の内容を史実として語る方がいる。小説は小説、史実は史実として異なった視点で見ることを多くの日本人は知らない。その差異を具体的に知る事ができる内容でもある。ただ、小説には小説としての役割があり、司馬遼太郎を否定しているのではないことはお断りしておきたい。

今、地方史から日本史を見る動きが増加中だ。これは、多角的に物事を見なければ真実は見えないということからだが、考古学、民俗学と並んで「地方史学」という新しい学問体系が誕生するかもしれない。商業誌ではないだけに、面白みに欠ける。しかし、後世に伝えなければ、という思いが詰まった研究会誌である。

筆者も福岡県久留米市に遺る北野天満宮を考察した「北野天満宮・・・」として一文を寄稿している。

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『川の中の美しい島・輪中』長野浩典著、弦書房 令和2年9月11日

「輪中(わじゅう)」という言葉は、小学校か中学校の社会科の授業で習った記憶がある。確か、濃尾平野の木曽川などの河口近辺にあり、天井川という言葉も同時に覚えたと思う。その河川の中に存在する中洲のことを「輪中」というが、それが現在の大分県大分市にもあったと知り、小さな驚きの声をあげた。

とはいえ、今回、この本を手にしたのは、第四章「輪中の近代」に登場する毛利空桑(もうり・くうそう)の事績を知るためだった。幕末史を調べていて困惑するのは、飛び地である。現在の大分市鶴崎は、熊本藩が参勤交代のための御座船「波奈之丸(なみなしまる)」の港として利用していた飛び地であった。空桑は寛政9年(1797)、輪中がある熊本藩の飛び地に生まれた。空桑は熊本藩の儒学者、勤皇家として知られる。

明治3年(1870)、空桑は長州藩の奇兵隊脱退騒動に巻き込まれた。長州藩の大楽源太郎が騒動の首謀者として嫌疑をかけられ、旧知の空桑、そして、高田源兵衛こと河上彦斎を頼ってきたからだ。この大楽を匿ったことから、空桑、河上は熊本藩の処罰を受けている。

昨今、日本全国で悲惨な大水害が発生する。堤防を築いても、いつしか、破られる。科学がどれほど発達しようとも、水と争うのではなく、水と共生することを人々は知り、それを生活に生かしてきた。自然を前に、人は謙虚であるべきと教えてくれる。

本書は「輪中」の歴史を全7章、200ページ余から、人々が水とともに生きてきた関係性を余すことなく述べている。歴史研究者のみならず、地方自治体、土木関係者にも一読していただきたい内容だ。
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『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社 令和2年9月5日

『京築の文学群像』という表題だが、京築とは、福岡県東部、瀬戸内に面した地域。現在の、福岡県京都郡、築上郡、行橋市、豊前市一帯になる。福岡県といっても、明治の廃藩置県により、旧小倉県などが統合されて福岡県が誕生した。現代においても、旧藩が異なれば、気質も異なるといわれる。京築は、旧小倉藩(豊津藩)の文化を受け継いだ地域と考えた方が分かりやすい。幕末、旧小倉藩は関門海峡を挟んだ長州藩(山口県)との戦いで小倉城を自焼し、この京築に旧小倉藩士たちが移り住み、新たに豊津藩を設けた。ゆえに、文化としては旧小倉藩の藩校「思永館」の系譜に連なる。

この京築は、あの『源氏物語』を英訳した末松謙澄を輩出した。その末松は「水哉園」という学塾で学んだが、塾を主宰する村上仏仙は厳しく漢詩を指導したという。その甲斐あってか、漢詩を好む伊藤博文の知遇を得ることができた。

また、この京築においては、あの堺利彦は外せない。社稷を忘れ、権門に驕る旧長州藩出身の桂太郎は、この旧小倉藩の系譜に連なる社会主義者・堺利彦を恐れたことだろう。

続々と京築の文学話が紹介されるが、『ホトトギス』を主宰する高浜虚子によって汚名を被った杉田久女について言及するのは必須。権力者・桂太郎によって堺利彦は封印されたが、文壇の権力者・高浜虚子の巧妙な政治手腕で杉田久女は貶められた。これは、文の世界において、許されることではない。まさに、名前の通り、高浜虚子は「虚の子」であった。その虚子の偽りを暴いたのが、増田連(ますだ・むらじ)の著作だが、はたして、広く世間に伝わっているのだろうかと懸念する。


本書を読み進む中で、筆者にとって興味深かったのは、「幕末―明治の郷土を知る」の章だった。会津藩から豊津藩(旧小倉藩)の藩校育徳館に留学した郡長正の自刃の話である。自決に至る様々な説があることに驚くが、是非、会津に残る誤解が解消されることを願うばかりだ。

  • 京築を彩る文化と歴史
  • 郷土、美夜古の文献と歴史


300ページ余に及ぶエピソードには飽きることが無い。膨大な文献を収集し、読破した者でなければ書けない内容であり、インターネット情報では知りえない新しい発見がいくつもあった。山内公二氏の「序」ではないが、本書は「郷土史学」という新しい学問体系を確立する礎になりうる一書といえる。

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『戦後欧米見聞録』近衛文麿著、新潮文庫 令和2年8月25日

本書は、1919年(大正8)に終結した第一次世界大戦の講和会議に随従した近衛文麿の見聞録。近衛は全権の西園寺公望の随員として渡欧しているが、26歳という年齢で世界を見通している眼力に驚く。

近衛に対する評価は一定しない。大東亜戦争後、戦争犯罪人指定を受け、服毒自殺したためもあるが、首相在任中の平和を希求する姿勢と、実際の政策が矛盾しているからだ。中国大陸に対する見識(この当時はシナ通と呼んでいた)がありながら、蒋介石の国民党政府を相手にせず、などの声明を発表している。さらに、昭和13年(1938)3月には、国家総動員法を成立させている。軍部に阿り、対外交渉の手詰まりを、政策で誤魔化しているとの誤解を受けても致し方ない。しかし、ここでは、第一次世界大戦後の欧州、そして、排日移民の声があがるアメリカの状況を知るには、貴重な見聞録となっている。

第一次世界大戦の終末期、ロシアでは二月革命、十月革命が起きた。戦争の当事国であるドイツでも十一月革命が起きている。近衛の見聞録においても、ボルシェビズム(ロシアの共産主義者たち)として、その危険性が述べられている。

1920年(大正9)、国際連盟が創設され、近衛は世界の平和のために喜ばしいとしている。反面、日本が提案した人種差別撤廃については、否定されている。国際連盟ができたからといって、すぐさま世界に平和がもたらされるわけではない。事実、1921年(大正10)には、ドイツにおいてナチス党が結成され、11年後の1933年(昭和8)には、ヒトラーが首相に就任し、1939年(昭和14)には、ポーランドにドイツ軍が侵攻した。その結果、世界は再び、未曽有の世界大戦に突入したのである。

すでに、昭和11年(1936)の二二六事件で証明されたように、日本は世界の金融経済の枠組みにしっかりと組み込まれていた。反乱軍の青年将校たちを早期に鎮圧しなければ、為替決済の電信線が使用できなかったのである。

世界の平和を希求した近衛でありながら、首相在任中に大本営が設置され、戦闘体制に備えていたのか。それとも、日米戦争は回避不可能と判断したのか。

本書には、細川護貞の解説が付されているが、その中に米国が「多量の好戦的尚武的素質」があることを近衛が見抜いていたとの記述がある。まさに、近衛はこの米国の本質に対処していたということだ。その米国との経済格差を承知の上で。

戦争は嫌だと言っても回避できない事実があることを本書は示している。果たして、大東亜戦争直後の近衛評のままで良いのかと考える。世界的な視点で、歴史の詳細な振り返りが必要と痛感させられた。

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『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』柳田邦男著、新潮文庫

新型コロナ・ウィルスの蔓延防止から外出自粛が求められ、不要不急の外出を控えるということから自宅に籠る生活が続いた。その中で、改めて渡辺京二氏の『荒野に立つ虹』を読み返した。講演録や過去に寄稿した文章をまとめたものだが、特に哲学者のイヴァン・イリイチの章は、じっくりと読み返してみたいと思っていた。イヴァン・イリイチの唱える言葉に日本人は飛びついたものの、それでいて「信じたい」と思う事と真逆の発言をイリイチがしたことから掌を返した。上野千鶴子氏に引きずられるように大衆はイリイチを見放したが、この行為は「自分の頭で考える」という時間と過程を現代日本人が失ったことを表している。少年による殺人事件が発生しても、マスコミ報道の間は記憶にあるが、マスコミが別の問題を報じ始めると、そちらに誘導されるのと似ている。

本書は、そんな、忘れっぽい、対岸の火事で問題を見たがる日本人の観察記録といってよいかもしれない。すでに起きた事件、忘れ去られた事件を、架空ではなく、現実に自身の生活に「存在」していることを示してくれる。少年少女による殺人事件、工場での事故など、12章に分け、問題点を鋭くえぐりだし、さらに、その対処法までをも提示する。非効率主義とでもいうべき対処法だが、逆に理にかなっていると言える。

人は、断食によって、感覚を鋭敏にする。同じく、副題にあるように、ケータイ・ネット情報を遮断して、自身で考えることをしなければ、人生の目的も何も見えなくなる。自身で考える事は、「自身で考える訓練」と置き換えても良いのかもしれない。新型コロナ・ウィルスによって非効率な社会に放り込まれ、人は右往左往する。しかし、飛行機が飛ばなくなって久しい。その結果、人間の頭上には青空が広がり、夜空の星の輝きを認めることができる。このことに、どれほどの日本人が気づいているだろうか。

もうひとつ、航空機パイロットの飲酒が問題として報道されていた。パイロットの飲酒問題では、職業倫理を問う意見が多かった。しかしながら、その根本的な問題はパイロットではなく、効率を求めての運行プログラムを組んだ航空会社にある。そのことに言及する評論家がいなかったのは、残念だ。しかし、柳田氏は見抜いていた。氏には『マッハの恐怖』という著作がある。航空機事故を扱った内容だが、その事故原因は組織と制度にありながら、事故原因はパイロットの操縦ミスである。

重大な事故が起きた時、「想定外」という言葉で責任回避をする人が多い。しかし、すべては「想定内」である。対処方法を蔑ろにしてきた人間に問題があると柳田氏は指摘する。「想定外」とは、「普通」が異常であることに気づかない人間の意識のなかにある。副題に「ケータイ・ネット依存症への告別」と出ているが、まずは、洪水のごとき情報を、一度、試しに遮断してみてはと柳田氏は提案する。何か見えてくるものが、あるはずだ。渡辺京二氏の『荒野に立つ虹』と並列で読むと、東洋哲学の意味深さをも知る事ができるだろう。

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『維新の残り火・近代の原風景』山城滋著、弦書房 令和2年7月28日

本書は中国新聞(本社・広島市)に2017年(平成29)4月から、2018年(平成30)9月まで、毎月2回、連載された維新の話である。その全35話を「グローバリーゼーション」「ナショナリズムとテロリズム」「敗者の系譜」「近代の原風景」として、4章に分類したもの。この中で注目したいのは、やはり、第3章の「敗者の系譜」である。明治維新において、勝者であるはずの長州藩だが、その実、敗者の系譜が歴史の襞に塗りこめられていたのである。

その代表的史実が、戊辰戦争での勝者として故国に凱旋しながら、反乱軍として木戸孝允(桂小五郎)に討伐された農商兵の話だろう。いわゆる「脱退兵騒動」だが、「四民平等、一君万民」という維新のスローガンと異なり、長州藩には歴然たる身分差別が横たわっていた。被差別部落出身を含む農商兵は、反政府勢力として殺戮されたのである。本書では述べられていないが、海防僧月性の影響を受けた大楽源太郎は九州へと逃れ、既知の久留米藩の仲間に庇護を要請した。明治4年(1871)に起きた最初の武士の反乱事件である「久留米藩難事件」において大楽源太郎らは久留米藩の仲間に殺された。四方を政府軍に囲まれた久留米藩としては、苦肉の策として大楽らを殺害したのである。しかし、大楽暗殺事件として「久留米藩難事件」は処理された。このことは、明治9年(1876)に起きた「萩の乱」において再燃したが、松陰精神の継承者である前原一誠は反政府勢力として処断された。木戸を始めとする新政府の主要な人物がかつての仲間を封殺したのである。

明治維新150年としてNHKの大河ドラマは「西郷どん」だった。林真理子原作、監修には「篤姫」の監修も手掛けた原口泉氏だったが、その視聴率は伸びなかった。本来、明治維新100年と150年とは、何がどのように異なるか、どのように変化したかを検証すべきだったが、明治維新100年の焼き直しでは、関心が薄れるのも致し方ない。振り返れば、西郷隆盛も明治10年の「西南戦争」では敗者になる。しかし、今もって、その人気は衰えない。その点を強調すべきだったのではと、悔やまれてならない。

明治という時代の変化は、日本の生存のために必要であった。西洋が100年を要した近代化を、50年で達成しなければ生き残れなかったのである。必然、歪みが生じ、何にしても斃れる(敗戦)しかなかった。

明治維新での敗者の系譜を辿る事は、昭和20年(1945)8月15日の敗戦国日本の事実を冷静に判断できる材料と考える。全35話の端々に、著者の昭和20年の敗戦に対する事実認識の欠如が如実に見て取れるが、このことは、いまだ、明治維新史が勝者の視点からでしか伝わっていないことに起因していることが見えてくる。本書は、いみじくも、その歴史の陥穽を炙り出している。
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『荒野に立つ虹』渡辺京二著、弦書房 令和2年7月28日

本書は渡辺京二氏の論考などをまとめたものである。「現代文明」「現代政治」「イヴァン・イリイチ」「日本早期近代」と大きく4つに分類し、32のタイトルで構成されている。いずれも興味深い内容だが、新型コロナ・ウィルスの感染防止に振り回される現代においては、「イヴァン・イリイチ」という哲学者が語った内容は外せない。しかし、このイヴァン・イリイチは、現代日本の進歩的文化人たちによって疎外されてしまった。このことは、進歩的文化人の読みの浅さ、日本の思想界の層の薄さを露呈した感がある。

日本は1990年代後半以降、新自由主義に移行し、それを受け容れた。しかし、そこで露呈したのは、日本及び日本人が自分たちの感覚や倫理を意識し、言語化、体系化、正当化してこなかったことだ。この指摘は、正直にうなづくしかない。TPPにしても、マスコミ報道に疑問を抱かず、「安いから」という事を前面に出し、密かに背後のアメリカの圧力をにおわせることで、大人のフリをして納得していた。しかし、アメリカのトランプ政権はTPPなど見向きもせず、日本の政官財界は為す術がなく、マスコミは声を潜めてしまった。このことは、農業とはなんぞや、ということを日本の農家も考えていなかったことに起因する。「生きることは食べること。食べることは生きること」という原則を考えれば、日本人にとっての農産物は生きる糧。大量生産、大量消費するエサではない。欧米の農業は狩猟型であり、東洋の農業は循環型である。そう体系的に認識していれば、金銭での評価対象でもなく、共同体という制度における給付、分配の対象であったと認識できたはずだ。

この認識の欠如は歴史認識においても同じである。敗戦後、日本の歴史は占領軍によって書き換えられた。これは、欧米の植民地支配の実態を見れば容易に判断がつくのだが、巧妙に仕組まれたプログラムにより、多くの日本人は疑問を挟む隙さえ与えられなかった。著者は、明治新政府によって創造された暗黒の江戸時代が、じつはそうではないことを描いた。その批判、批評にことごとく反論する展開には、爽快すら覚えた。著者の手法で、今一度、戦後の歴史を見直してもよいのではないか、

著者の515事件、226事件との明確な相違の指摘は、「なるほど!」と腑に落ちるものであった。将校のみの権力に対抗する行動か、兵(国家)も加担した決起かの相違である。余談ながら、夏目漱石の日本の敗戦を予見した小説の読み込み方の深さにも、感服する。

本書は、平成28年(2016)の西日本新聞・書評欄「今年の一冊」に寄稿したが、再読し、驚いたのは、2017年ノーベル文学賞を授賞した日系イギリス人のカズオ・イシグロについて、著者は2002年の段階で「The Remains of the Day」を「偉大なる小説」として評価していたことだった。この先を見通す著者の眼力に感服した。手元に置いて、何か、迷った時にはページをめくる。そんな一書である。
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『昭和維新』田中健之著、学研プラス 令和2年7月21日

本書を手にしたのは、著者が「玄洋社」初代社長平岡浩太郎の曾孫であり、「黒龍会」創設者内田良平の血脈であるということが大きい。「昭和維新」との題名だが、ある意味、玄洋社からみた昭和維新史と言える。

本書は三部構成であり、第一部は「昭和維新」の胎動、第二部は五・一五事件から二・二六事件、第三部は二・二六事件と「昭和維新」の挫折となっている。総ページ数は580ページ弱の大部となっている。

この「昭和維新」について、多くは二・二六事件を最終決着点として語られる。ゆえに、青年将校の周辺、青年将校に影響を与えた北一輝から語られる。しかし、本書は大川周明から始まる。大川周明は、いわゆる東京裁判で東條英機の頭を背後から叩くなどの奇行がクローズアップされるが、その思想、背景については語られない。その大川周明を著者が取り上げたのも、東京裁判の映像によって封じ込まれている大川の真実を引きずり出したいという思いからに他ならない。

著者は、本書の「はじめに」において、こう述べている。

「日本を敗戦に導いた権力者の責任を日本人自身が総括しないまま、戦後政治に引き継がれてきた。日本を敗戦に導いた指導者たちは、本来ならば連合国にその責任を負わされるのではなく、天皇と国民に対して祖国を亡国の危機に導いた責任を負わなくてはならない。」

東京裁判における大川周明は東京裁判で晒し者、ピエロを演じ、そのことで、戦争指導者、日本国民は免罪符を得たのだった。いまだ、日本という国は、日本国憲法という衣装に変っても、その実、大日本帝国憲法の時代と変わらないと揶揄される由縁である。

著者は「昭和維新」というテーマから五・一五事件を説いた。五・一五事件は昭和七(一九三二)年五月十五日に起きた。首相犬養毅を襲撃した陸海軍青年将校のみならず、頭山秀三も関係した。本書にも記されているが、犬養毅の墓所は東京都立青山霊園にある。その少し斜め前に、犬養の盟友ともいうべき頭山満、そして、頭山秀三の墓石が有る。なかなか、この両家の関係については深く立ち入れない。しかし、著者はその両者、心情を綴っている。本書の200ページから始まる件は、興味深いものだった。過去、表層をなぜた著述はあっても、ここまで頭山と犬養の関係を表現したものを読んだことがない。

次に、二・二六事件の引き金ともいうべき「永田鉄山惨殺事件」は興味深い。この永田鉄山を刺殺した相澤三郎中佐の弁護士は鵜沢総明だが、鵜沢は東京裁判での日本人弁護団長として知られる。鵜沢が相澤の弁護をどのように展開しようとしたのだろうか。平成二十七年二月二十六日、東京麻布の賢崇寺で二・二六事件、永田鉄山惨殺事件関係者の慰霊に参列した。賢崇寺とは佐賀鍋島藩主の菩提寺だが、処刑された二・二六事件での青年将校らの墓所があることでも知られる。この法要で、相澤三郎の娘からの手紙が読み上げられた。あの子煩悩だった相澤の娘が存命であることに感慨を覚えた。さらには、その所在すら不明であった二・二六事件での公判記録が東京地検に保管されており、公文書館に移されることになったとの報告も。

最後に、本書の最終章である東條英機暗殺未遂事件である。この章では、中野正剛に対する東條英機の言論弾圧が述べられている。憲兵を総動員し、委細洩らさぬ情報統制を敷いた東條だった。その東條の独裁に、生命を顧みず反対闘争を繰り広げた中野だった。その自決に際して、机上には西郷隆盛の全集が広げられていたという。中野が、西郷精神を継承する玄洋社の人でもあったのだと再認識させられる場面である。毀誉褒貶はありながらも、断固として権力者東條に叛旗を翻した中野の慰霊祭は今も地元福岡で続けられている。

昨今、庶民の暮らし向きを考えず、金銭、異性問題で世間を騒がす政治家が多い。ここに、戦後を総括しなかったツケが日本社会の混迷を招いたといえる。今、亡国の危機にある日本に対し、政治家は自戒し、必死の覚悟をと著者は主張する。

今回、本書を世に問うた著者の決意はここにある。そのことを汲み取っていただきたい。

 

                                                      以上

『北欧諸国はなぜ幸福なのか』(鈴木賢志著、弦書房)令和2年7月4日

本書は2019年(令和元年)7月27日、福岡ユネスコ協会が主催する講演会での内容をまとめたもの。60ページ弱のブックレットである。

まず、著者(演者)は、明治大学国際日本学部の教授であり、イギリスに留学したものの、家計の問題で家賃無料のスウェーデンの大学研究員となる。以後、10年ほどを現地で過ごし、本書はその時の体験をもとにスウェーデンの内実を述べたものである。

スウェーデンといえば、高福祉、高税率の制度を導入している。この制度に国民の不満は生じないのかという疑問が生じるが、人口1000万人のスウェーデンでは、高い経済水準を維持しており、この制度を当然の帰結と認識している。家具のIKEA(イケア)、ファッション衣料のH&M、自動車のVOLVO(ボルボ),薬のAstraZeneca(アストラゼネカ)、紙パックのTetraPak(テトラ・パック)、音楽配信のSportify(スポーティファイ)、インターネット通信のSkype(スカイプ),Ericsson(エリクソン)などの企業がスウェーデンの稼ぎ頭。

さらに、労働をシェアするというより、より働ける者は働くという環境になっている。女性でも、障害者でも、働いて利益を上げる制度になっている。日本との労働時間を比較しても各人の労働時間は短いが、高収益体制となっている。この、より働ける者は働くという感覚は、経済水準と幸福度は相関関係にあると国民が認識しているからだ。

 そして、高福祉政策については、権利と義務という相関関係が厳格に認識されている。仮に移民がスウェーデンで就労を希望すると、スウェーデン語は必須であり、そのための学校(無料)に行かなければならない。さらに、その出席率は厳格にチェックされ、甘えは許されない。

大学も無料。しかし、成績が下がれば奨学金の打ち切りがあるので、必然的によく学ぶ。兵役もある。スイスのみならず、スウェーデンも永世中立国だが、紛争に関与しない代わりに、他国の侵略、侵入を受けない軍事力の保持を当然と考えている。実際に、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツは北欧諸国を侵略したが、スウェーデンのみは対象外だった。ゆえに、戦闘機も国産化するが、自動車メーカーであったSAAB(サーブ)は戦闘機メーカーである。


スウェーデンといえば、近年、環境問題でのグレタ・トゥーンベリという女子高校生が世界的に話題になった。しかし、これはスウェーデンでは普通のことであって、騒ぎ立てたマスコミの認識レベルが低い。恣意的に彼女を利用したということである。環境問題は、半世紀近く前から問題視されており、それをおざなりにしてきたマスコミの怠慢であることを、皮肉にも、グレタさんが露呈したに過ぎない。

本書では、日本の憲法改正、教育制度についての問題提起が潜んでいる。原理原則、根本原理を無視した、表層部分での議論しかなされなかったかを痛感する。要は、議論が存在しない。これでは、日本ではコメンテーターにはなれても、思想家にはなれない。スウェーデンの長期戦略から学ぶべき事々は多い。

                                                      以上

『インテリジェンスと保守自由主義』(江崎道朗著、青林社)令和2年7月2日

インテリジェンスという言葉から、現代の日本人は何を思い浮かべるだろうか。戦前の特別高等警察(特高)、陸軍憲兵隊(憲兵)と言われるかもしれない。しかし、戦後75年、戦争を経験していない日本では、特高、憲兵といっても死語に近い。故に、『インテリジェンスと保守自由主義』という題名を見ても、敏感に反応する方が少ないのではないか。しかし、副題に「新型コロナに見る日本の動向」と記載されていることから、本書を手にされる期待大だ。現実問題として、新型コロナウィルス対策の遅れは、情報収集能力の低さだった。本書は全9章で構成されているが、第7章の「新型コロナ対策が後手後手になったのはなぜか」から読み進んでもよいだろう。

 まず、本書を読み進みながら、日本の報道機関に対する不平、不満、不安が募る。2019年(令和元年)9月19日、EU(欧州議会)は旧ソ連(現在のロシア)を戦争犯罪、侵略国家として議決したことが、日本に伝わっていない。連日、日本に届いたニュースは、イギリスがEUを離脱する、しない、であった。経済にどのような影響が起きるしか、伝えなかったのである。ソ連を侵略国家と議決したEUからすれば、次に、侵略国家として議決されるのはイギリスである。経済的な事由からのイギリスのEU離脱が報道されたが、その背後には、ソ連の侵略国家議決があったのではないか。このEU議会でのソ連批判は、北方領土問題が解決していない日本にとって、重要なニュースである。日本の報道機関が意図的にイギリスのEU離脱だけを報じ続けたのであれば、国益に反する対応であったとして批判されなければならない。恣意的であったとすれば、なおさらである。

著者の一連の著作を読むと、コミンテルンの動きについて書かれたものが多い。大局的な視点でとらえた内容には、あの昭和16年(1941)から始まるアメリカとの戦争も、用意周到に仕掛けられた戦争であったことがわかる。それもアメリカのルーズベルト大統領、その側近による戦争計画に基づいたものであることが明白だ。しかし、いまだに、多くの日本人は「日本が戦争を始めた」「日本は侵略国家」だと、信じている。このことで、憲法9条を楯にし、「平和憲法」を守るとして外交、国防に齟齬をきたしていることに気づいていない。

さらに、日清、日露戦争までをも「侵略」戦争と定義づけ、世界の、アジアの平和を崩壊させたのは日本であると教科書で教えている。それは、入試問題にまで及び、教員、学校関係者らが何ら疑問を抱かない。これは、日本の弱体化、消滅計画に他ならない。

阪神淡路大震災、東日本大震災でマスク、防護服が必須であると経験したにも関わらず、価格競争のみを前面に出して、なぜ、中国に生産を委託してしまったのか。一時期、アメリカのトランプ大統領の自国第一主義を世界の報道機関は批判した。しかし、新型コロナウィルスの発生により、世界中の国々が国境を封鎖し、出入国を厳格化した。この現実に、トランプ大統領を批判した評論家の謝罪コメントは目にしていない。いかに、情報収集、自主性に瑕疵があるかを露呈した出来事ではなかったろうか。

著者は、もう一つ、大きな問題提起をしている。それは、アメリカとの同盟関係も大事だが、自主独立の気概が日本に欠けていることである。実質的な防衛予算が必要であり、そこから初めて、国益にかなったインテリジェンスが生きてくる。政府任せ、アメリカ任せではない、日本国民がそれぞれ、独自の視点をもって意見、意思を持たなければならないと警告する。

世界は大きく動いている。保守自由主義を支持する方々は、インテリジェンス機関の重要性にも関心を向けて欲しい。


                                                      以上

『団塊ボーイの東京』(矢野寛治著、弦書房)

東京の武蔵野の一画に成蹊大学のキャンパスがある。著者の矢野寛治氏が通った大学だ。一度、作家の多田茂治氏と訪ねたことがある。『夢野久作と杉山一族』『夢野久作読本』という著作がある多田氏に連絡し、大学図書館で待ち合わせた。大学の創立記念事業として、夢野久作が腹違いの妹に送った書簡を翻刻し、その研究発表会があるということからだった。校舎は三菱財閥が関係した学園だけに、風雅を感じる。そこに宇宙船を想起させる図書館が出現した。豪華な空間に軽い嫉妬を覚えながら、久作の書簡をガラスケースから眺めた。

そのガラスケースの並びで目に留まったのが、有馬頼義の著作だった。映画「兵隊やくざ」の原作となる『貴三郎一代』の著者である。『遺書配達人』という名作は、渥美清主演の映画にもなったが、シリーズとなった勝新太郎の「兵隊やくざ」の方に世間の関心は集まる。少々、残念ではあるが、その有馬頼義が、なぜ、成蹊大学にと訝る。その答えは「有馬の殿さま」として本書の中にあった。1969年(昭和44)、当時、経済学部の学生であった矢野寛治氏だが、偶然、有馬の殿さまこと有馬頼義と野球部のグラウンドで遭遇した。なんとも、実にウラヤマシイ思い出である。

著者の東京での学生生活は、「個は孤」という団塊世代にしか経験できない時代だ。悲哀を込め、振り返りたくもない青春時代を、それこそ、フーテンの寅さんのセリフではないが、「恥ずかしき」日々の連続、悪戦苦闘が綴られている。その事々が、憧憬と哀れみがないまぜになり、やがて、共感となって沁み込んでくる。本書は、中洲次郎という矢野寛治氏のペンネームで「ぐらんざ」という雑誌に連載されたものだが、筆者自身、青春時代を描けと言われれば、やはりペンネームでしか書けない。しかし、ついに、矢野氏が本名で刊行したことに意義がある。

ノンフィクションとして記録される歴史も大事だが、文書化されず、口伝として、やがて消えていく「常民」の歴史は恣意的なものが加わっていない。それだけに、本書が内包する青春時代という歴史は貴重だ。日本の戦後史、誰もが頂点を目指した復興期の歴史と見ても良いだろう。全80話、250ページに及ぶエッセイは、まさに小宇宙。小説でしか書けない事も、年月を経ると「半生(反省)の記」として昇華する見本である。団塊の世代を自認される方々は、矢野寛治氏の青春時代に自身の青春をトレースしてみては良いのでは。

*作家の多田茂治氏は、令和二年五月三日病没された。享年九十二歳。合掌。

                                                      以上

『イスラム国と日本国』(三宅善信著 集広舎)令和2年6月16日

四方を海で囲まれた日本ほど恵まれた環境の国はない。他国と国境というものを有しないからだ。そのためか、国家とは何ですかと問われ、即答できる日本人は多くない。「領土、国民、主権」と学校教科書は教えるが、日常生活において緊張感を伴った国家意識を必要としないからだ。ゆえに、日本人とはと問われ、日本は単一民族だからと回答する閣僚がいる。しかし、それが普通の日本人の姿でもある。では、日本とは、日本人とは、何ぞや?である。

本書は、そんな日本の成りたちをイスラム国との歴史の比較から、現実を説いた内容である。全6章にわたって、国とは?という概念が語られるが、中でも秀逸なのが第6章の「二十一世紀における国家論」だ。日本から遠い中近東の国々ついて、テレビのニュースでしか知らないのが現状だ。日本人が関係した事件でも起きない限り、関心をもたない。日本経済に必須の石油資源の中近東でありながら、系統だって報じることができるメディアも少ない。

その根源の一つに、著者も問題提起しているが、イスラム教会による日本及び日本人に対する啓蒙、普及活動に積極的でないからだ。日本国民の1パーセントに満たない信者数でありながら、日本におけるキリスト教への理解は進んでいる。ゆえに、本書の第6章はイスラム国、イラン、イラク、シリアなどの地域紛争を解かりやすく解説していることに意味がある。

日本のように、郵便、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットなどの情報機関が整備されていない国々では、SNSが重要な情報源となる。国境を有していれば、危機に際しての冷静な判断をくだす時間的余裕はない。一瞬の判断ミスが、自身や家族の生命を奪ってしまうからだ。目が覚めたら、他国の兵士が庭先に立っていた。などという経験を重ねてきた国々にとって情報と迅速な判断は肝要だからだ。

日本のマスコミは、日本が世界のグローバル・スタンダードに追いついていないと喝破する。このままであれば、日本は世界の孤児になると危機感を煽る。しかしながら、日本のマスコミはそのグローバル・スタンダードの真実を見極めていない。ゆえに、世界が、日本のグローバル・スタンダードに追いついていない事を、再認識させてくれる一書でもあった。果たして、日本のマスコミ、評論家が、本書を手にして、この真実に気づけるか否かはわからない。

蛇足ながら、大正14年(1925)1月、東京回教徒団が結成された。ロシアから追放され、日本に亡命してきた回教徒(イスラム教)の僧正たちが中心となったものだが、その集合写真中央には玄洋社の頭山満がいる。この一葉から、大東亜戦争前の日本の意識が広く世界に広がっていたことを感じとることができる。

                                                      以上

『占領と引揚げの肖像BEPPU』(下川正晴著、弦書房)令和2年6月14日

別府と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。何といっても、まずは、「温泉」だろう。さほど、別府の至る所、湯煙がもうもうと立ち上っている。大分自動車道のパーキングエリア、現在の立命館アジア太平洋大学のあたりから見下ろす別府湾の風景は、あらゆる人を開放的にする。

本書は、その別府の歴史、特に戦後史に特化して書かれたものだ。しかし、ここで注意しなければならないのは、地方都市の戦後史として軽く見ると、とんでもない大ヤケドに見舞われる。そのことは、全8章の項目を追うだけで、従来の戦後史が粗雑であったかが浮かび上がる。それぞれを列挙すると、「戦後史へのアプローチ」「モダニズム都市別府」「占領都市BEPPU」「朝鮮戦争とBEPPU」「戦災孤児・混血児の別府」「煉獄の引揚者」「阿南綾の戦後」「新生の別府女性史」だが、別府をわざわざアルファベットのBEPPUと記さなければならない史実に、本書の秘密がある。

なかでも、第2章72ページには驚いた。昭和三年(一九二八)から三年間、アメリカ海軍の情報将校が、別府に滞在していたのだ。まだ、日米が太平洋を挟んで激闘を繰り広げる十三年も前の事である。エドウィン・T・レイトンという人物だが、なんと、あのニミッツの補佐官を務めるのである。戦意高揚の歌に登場する「さあ来い、ニミッツ、マッカーサー」と揶揄した敵将の補佐官である。

そして、第6章180ページには、戦後の別府市長を務める脇鉄一の事績が紹介される。熊本五高、東京帝大、朝鮮総督府を経た人だ。さらに、近現代史では無名に近い存在かもしれないが、杉目昇という満洲での諜報活動で欠くことのできない人物の名前までもが登場する。

そして、第7章は、最後まで本土決戦を主張して止まなかった陸軍大臣阿南惟機の妻・綾が主人公である。

戦前、さしたる産業に恵まれない大分県は、地域振興のため海軍基地の誘致を試みた。宇佐海軍航空隊、大分海軍航空隊のみならず、保養施設、療養施設としての別府までもがあったのだ。別府のことを「泉都」とも呼ぶが、「軍都」と呼んでもよいかもしれない。温泉の湯煙に隠れて、アメリカ海軍の情報将校までもが潜むのが別府だったのだ。

復員船の第一船「高砂丸」が入港したのが別府だが、そこから展開する別府の戦後史を一地方史として見てはいけない事実に驚愕するだろう。巻末には大分県、別府、大分の戦後の事件簿が掲載されている。これを追うだけでも、資料的価値の高いものであることが証明されるだろう。
ちなみに、別府の米軍基地の復元図がある。後世に歴史を遺す新しい試みとして評価したい。
                                                      以上

*『忘却の引揚史』(下川正晴著、弦書房)との併読をお勧めします。

『武家の女性』(山川菊栄著、岩波文庫)令和2年6月7日

著者の山川菊栄(1890~1980)は女性解放の論客であり、伴侶は社会主義者の山川均(1880~1958)である。その菊栄が水戸藩下級武士の娘である実母の青山千世の聞き書きをまとめた内容だが、物語風に綴られた話は、昔話のようであり、肩が凝らない。

この物語は15に分かれているが、中でも「子(ね)年のお騒ぎ」は必読の章である。いわゆる水戸藩における内訌(内紛)である。水戸藩といえば水戸光圀が始めた『大日本史』編纂が続けられていたが、それは、全国の諸藩の模範でもあった。いわゆる水戸学と呼ばれる日本の歴史、政治体制についての集大成であったが、それが逆に時代の変遷において藩内に齟齬をきたした。このことは山田風太郎の『魔群の通過』や吉村昭の『天狗争乱』に詳しいが、「お騒ぎ」の水面下で、動きのとれない女性、老人、子供の姿は哀れとしかいえない。

心痛むのは、天狗党で決起した者の家族が牢に投じられた場面だ。不衛生な獄中で亡くなる者、食を絶って自殺する女性たちがいたことである。武家の家に生まれたばかりに、わずか三歳の幼児といえども男子ということで斬首となった。水戸藩の平時と有事の落差が大きいだけに、悲惨さがより一層、如実に浮かび上がる。先述の山田や吉村の作品といえども、こればかりは太刀打ちできない。

 明治維新の目的の一つに、封建的身分制度の打破があった。しかし、その全てが達成できたわけではない。その残滓が女性解放であり、その対応に著者の山川菊栄が行動した。遠い、幕末維新の話ではなく、現代においても男女共同参画が問題とされる。先駆者として山川菊栄を取り上げても良いのではと考える。

ちなみに、本書に中島歌子という女性が登場する。明治時代、文壇において樋口一葉、三宅花圃という女性たちの活躍は目覚ましいが、その樋口や三宅の和歌の師匠が中島である。「子年のお騒ぎ」で伴侶が処罰を受けたことから、累として獄窓にあった女性である。

尚、三宅花圃の伴侶はジャーナリストの三宅雪嶺だが、この雪嶺を岳父にもったのが朝日新聞記者から政界入りをした中野正剛(玄洋社員)である。

                                                      以上

『魔群の通過』山田風太郎 著、ちくま文庫 令和2年6月4日

本書は幕末の水戸藩を舞台にした天狗党の顛末を描いた物語である。この小説を読む前、吉村昭の『天狗争乱』を読了したが、同じ天狗党を扱った内容でありながら、読みやすさと印象は大きく異なる。

吉村昭の場合は膨大な文献資料から事件を忠実に描いている。山田風太郎の場合は事件の渦中から、少しばかり離れた位置に立って、物語風に描いている。人情の機微の絶妙さとしては、山田風太郎に軍配をあげたい。山田は資料を渉猟しながらも実際に天狗党たちが通過した断崖絶壁の道も歩いている。地の気、風の音、広大な風景は、やはり、現地を訪ねなければわからない。

武田耕雲斎、藤田小四郎を首領とする天狗党は、有無を言わせぬ武威によって恐れられた。その天狗党を迎え討ち、通過させた諸藩の中には、偽政者に都合のよい記録を遺している藩がある。このことを山田は見逃していない。文献資料に忠実に従う事も大切だが、その資料自体の信用度にまで踏み込まねば、実態はわからない。それを看破した山田の眼力に恐れ入った。

もともと、本書を手にしたのは玄洋社の杉山茂丸が遺した「過去帳(交友録)」に横浜富貴楼倉の名前があったからだ。杉山茂丸とは、玄洋社の総帥頭山満と半世紀に渡る盟友関係にあった人だ。その杉山の記録にあった倉の名前が「天下の糸平」こと田中平八の顕彰碑にあるという。碑が立つ東京都墨田区の木母寺を訪ねたが、顕彰碑に手跡を遺すのは、あの伊藤博文だった。倉の名前は、裏面の賛同者の一群のなかにあった。

田中は幕末から明治初期、横浜を中心に莫大な富を誇った生糸商人であり相場師である。水戸天狗党の決起にも参画したが、維新後は長州藩を後ろ盾に財を成した一人である。倉を介して、杉山茂丸も田中平八と親交があったのではと想像した。

山田はこの天狗党を描くことで主義主張、事件というよりも、人間というものの性を描きたかったのだろう。行間と行間、その後ろに垣間見える大きな問題提起に考え込んでしまった。読了後、小説とはなんぞや、しばし、再考したのだった。

蛇足ながら、明治42年(1909)、伊藤博文はハルビンで安重根に暗殺された。その伊藤の側にいて被弾したのが室田義文という水戸天狗党の人だった。もしかして、かつての恨みから室田を狙った銃弾が誤って伊藤に直撃したことから起きた暗殺事件だったのではと想像を巡らせた。さほど、骨肉相争った水戸藩だったのである。

                                                      以上

『天狗争乱』(吉村昭著、新潮文庫)令和2年6月1日

今から10年以上も前に読了した本書だが、読み返そうと思ったのは、権藤真卿こと古松簡二(1835~1882)の足跡を確認したかったからだ。古松簡二とは、明治四年に維新のやり直しを画策して捕縛された旧久留米藩(現在の福岡県久留米市)の人である。

古松は、福岡県八女郡溝口村(現在の筑後市溝口)の医師清水潜龍の次男として誕生した。才能を認められ、久留米藩の藩校明善堂の居留生となった。封建的身分制度が厳格な時代、一介の医師の息子が藩校に入ることができるのだから、どれほどの秀才であったかがうかがい知れる。以後、安井息軒の塾で学んだが、脱藩し、水戸天狗党の挙兵に身を投じた。

しかし、水戸藩の内訌(内紛)問題を優先する藤田小四郎(藤田東湖の子息)と意見を異にし、天狗党を離脱。その件を確認したく、本書の再読に取り掛かったのだった。「久留米藩を脱藩して天狗党にくわわっていた権堂(藤)真卿は・・・」という箇所がそれになる。

著者の吉村昭の関心もここで止まっているが、この権藤真卿こと古松簡二は、維新後、長州の木戸孝允、薩摩の大久保利通と大坂遷都問題で意見対立し帰郷。久留米藩の若き青年を訓育し、維新のやり直しを画策していた。そこに飛び込んできたのが、長州の大楽源太郎だった。大楽も長州では、木戸、山縣有朋らと奇兵隊の解散問題で対立し、反政府者として追われの身だった。そこで、旧知の仲間がいる久留米藩に逃げてきたのだった。

しかし、明治4年、古松らは反政府勢力として捕縛され、東京の獄に投じられた。獄中でも若者への教育、医師であったことから病者の治療にもあたった。劣悪な環境でも執筆活動に励んでいたが、コレラ患者の治療中、自身も罹患し獄中死した。

獄には、明治10年(1877)の西南戦争での賊軍兵士も投じられていたが、古松の教えを受けた者は多い。その一人に、福岡発祥の自由民権運動団体玄洋社の初代社長となった平岡浩太郎がいる。平岡は出獄に際し、古松の国学関連の著書を持ち出したという。

また、他の著書の多くは、鹿児島県出身者が持ち帰ったとも伝わる。

幕末史において、三條実美らが都落ちした文久3年(1863)の「八月十八日の政変」、元治元年(1864)の「禁門の変」は注目を集める。しかし、水戸天狗党の決起が東西挟み撃ちの義挙であったことは振り返られない。これは、後年、日本史を編纂した者の意図が働いたのかもしれないが、今では確認の術はない。ただ、残念としかいえない。

尚、本書にも平田篤胤の国学の影響を受けた人々が水戸天狗党に好意的であったと出ている。国学の観点から本書を読み解いても面白いのではと考える。
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『幕末の魁、維新の殿』(小野寺龍太著、弦書房)令和2年5月29日

本書は水戸藩を中心にした幕末維新史だが、読み進むうちに斎藤佐治右衛門という水戸藩士の名前に目がとまった。文久3年(1863)「八月十八日の政変」を経て三條実美公たちは太宰府天満宮延寿王院に移転してきたが、斎藤は藤岡彦次郎という変名で警護役浪士団の一員に加わっていた。その一団は土佐の土方久元、中岡慎太郎、久留米の真木外記などで編成されていたが、斎藤までもが落ちてきた真の意図はわからない。水戸藩を震源地とする一連の尊皇攘夷行動の連絡係として国元から派遣されたのかもしれない。

水戸藩といえば、水戸学の本家として全国の志士が遊学に訪れたところである。会沢正子斎の門を叩き、藤田東湖の知己を得る者が後を絶たず、ひとえに、名君徳川斉昭を支える英才に交わりたいとの思惑があったからである。さほど水戸藩は時代の魁であり、主要な政治事件の中心にいた。それにも拘わらず、維新後、「薩摩警部に水戸巡査」とのたとえ通り、新政府においては殿だった。

水戸藩が関わった事件としては万延元年(1860)三月の「桜田門外の変」、文久2年(1862)の「坂下門外の変」、元治元年(1864)の「天狗党騒乱」等が著名である。其々、単発の史実として語られることはあっても、水戸藩の一貫した幕末維新史としては扱われない。攘夷思想の対立が藩の権力闘争に発展し、収拾がつかなくなったからである。安政の大獄は全国の主要な人材を抹殺したが、水戸藩の政治闘争は親兄弟、門閥を問わず、皆殺しの様相を呈した。このことで、水戸藩は尊皇攘夷思想を語り継ぎ、次代につなぐ人材を失った。

思想に忠実であったことから同士討ちとなった水戸藩だが、その頃、太宰府で時勢を待った三條公たちは西洋列強の現実を直視していた。ひとつに長崎が近いという地理的要因があるが、日本を取り巻く情報を潤沢に入手できたことが大きかった。三年に及ぶ太宰府滞在は三條公を討幕維新へと向かわせたが、この動きを斎藤がどのように水戸へと伝えたのか、いささか気になるところである。

余談ながら、明治2年(1869)、安川敬一郎(旧福岡藩士、安川財閥創始者、玄洋社員)は京都に留学途上、乗り合わせた船内で斎藤佐治右衛門と出会う。そこで、今回の維新で活躍した西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬らの話を聞き、大いに驚愕したという。

 この内容は、平成24年(2012)10月14日付西日本新聞に寄稿した書評に加筆したものです。

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『勝海舟強い生き方』(窪島一系著、中経文庫)令和2年5月22日

「読書百篇、意自ずと通ず」という言葉がある。一度読んで分からずとも、繰り返し、繰り返し読むうち、意味が次第に分かってくるという先人の教えだ。

本書は勝海舟の遺した言葉、事績から選びだした事象を75話にまとめ、10章に分類している。一日に一話ずつ読んでいけば、およそ二か月半で読了する。筆者も一日一話ずつ読み進んだ。

第一章の第一話は、勝海舟の剣の師である島田虎之助の勧めで禅の修行に打ち込んだ話が紹介されている。島田虎之助は剣豪として知られるが、海舟も剣に禅にと激しい修行に打ち込んだ。海舟は、維新という大変革の時を生き抜いたが、その底辺には剣と禅があった。

海舟の周辺には、実に多くの人々が関係する。人は、一時の事例から他者を評価するが、この海舟の交流関係を見ていくと、多面的に見なければ他者は評価できないと考えさせられる。それでいて、これは運、不運という言葉でしか片付けられない事故も垣間見える。

最終の第10章、第7話は、海舟の盟友というべき山岡鉄舟の見事な末期の姿が綴られている。現代、「なぜ、俺が、死ななければならないのだ」と不運を嘆く人がいるが、生まれたら死ぬ。ただ、それだけ。だから、しっかりと生きて行く。人の一生とは、ただ、それだけのこと。しかし、これが簡単なようで、もっとも難しい。

流行病で生命を落とすより、慢性疾患、自殺で亡くなる人の方が多い現実の日本を振り返れば、情報に振り回されるよりも、日々、しっかりと生き抜くことを考えるほうが、気が楽だ。そんな事々を悟らせてくれる書だった。

尚、本書にも記されているが、勝海舟と福岡藩主の黒田長溥の人間関係は、深い。

さらに、福岡発祥の自由民権運動団体である玄洋社の人々との関係も強い。


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『柳原白蓮』(井上洋子著、西日本新聞社)令和2年5月20日

太宰府天満宮参道の中間地点に、ひとつの鳥居が立っている。土産物店の「小野筑紫堂」の軒先にあるそれは、伊藤伝右衛門が寄進したものだ。伊藤は本書の主人公・柳原白蓮の元夫であり、「白蓮事件」として大正時代の一大スクープとして日本中を騒がせた渦中の人である。しかし、観光客の多くは、なんら関心を示すこと無く通り過ぎる。

 さて、本書をどのように捉えるかは、性別、年齢、地域、知的関心によって幾通りにも解読が可能となる。女性解放史、階級闘争史、維新史、近代産業史、文学史などだが、アジア史も付け加えることができる。さほど、この柳原白蓮という女性の辿った道は複雑にして、怪奇であるということだ。

 柳原白蓮は、明治18年(1885)、伯爵柳原前光を父として生まれた。伯爵家という家柄だけでなく、不躾な言葉で言えば、大正天皇のいとこにあたる。白蓮の叔母・柳原愛子は大正天皇の生母だからだ。

 その白蓮が、九州は筑豊の炭鉱主である伊藤伝右衛門の後妻に入った。資産家で衆議院議員とはいえ、伊藤伝右衛門はまともな学校教育を受けたことが無い。いわゆる、労働者階級から裸一貫で成り上がった人だった。加えて、万延元年生まれの伝右衛門と白蓮。その年齢差は親子ほどの24歳違い。誰がどう見ても、不釣り合いな結婚であった。結婚生活が上手いくはずもなく、仮にいったとしたら、それは奇跡と呼べる。

白蓮は、ちぐはぐな生活のなかで、歌を詠む事に希望を抱いた。歌集を出し、寄稿も求められる。そんな白蓮を訪ねてきたのが、後に、出奔し、結婚することになる宮崎龍介だった。あの孫文、黄興という革命家たちを支援した宮崎滔天の長男である。

明治維新は、四民平等、一君万民という理想を掲げ、封建体制を破壊することで挙国一致体制を構築した。しかし、旧藩主、公卿の救済措置から生まれた華族制度が誕生し、新しい封建制度を生み出すことになった。その制度が生み出した事件が、白蓮事件である。華族制度は、次なる課題である男女平等の理想を積み残して始まったが、その制度破壊の先駆者が白蓮であったとすれば、彼女は革命家としても名を遺したことになる。

本書には内田良平、中野正剛、出口王仁三郎などが白蓮や龍介の周辺に登場する。龍介の父・宮崎滔天、玄洋社関連の文献が読み込まれていたならば、人間関係の濃密さがより一層浮かび上がったのではないだろうか。

蛇足ながら、太宰府天満宮本殿奥にある「お石茶屋」前には、白蓮の姪である徳子の元夫・吉井勇の歌碑がある。この吉井も白蓮の歌集編集に関わっている。学問の神様・太宰府天満宮は御祈願所だけではなく、不思議な人間模様も学べる場所だ。

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『海と神道譲位儀礼と大嘗祭』(神道国際学会、集広舎)令和2年5月18日

本書は第20回、第21回の国際神道セミナーでの基調講演、シンポジュウムの内容をまとめたものである。第20回のセミナーは2018年(平成30)3月16日、東京の学士会館で開かれ、第21回のセミナーは2019年(平成31)3月5日、東京の関西大学東京センターで開催された。

まず、第20回の基調講演は宮城学院女子大学・大内典教授の「龍神と音楽:エビス信仰との関連から」だった。ここでは、島根県松江市の美保神社に多くの楽器が奉納されていることが紹介された。楽器といっても多々あるが、太鼓、弦楽器などだが、なぜ、神社に楽器が多く遺されているのかという疑問から、エビス信仰を考えるというものだった。従来、神社の歴史といえば、古事記、日本書紀から捉えようとするが、楽器に着目するという発想が面白い。音楽文化学を研究されている方ならではの着想と思う。

さらに、金印で知られる志賀島の志賀海神社(福岡市東区)、世界遺産の宗像大社(福岡県宗像市)から、海と楽器との関りを述べた箇所は、なるほどと思えるものだった。志賀海神社では神功皇后と安曇磯良の物語が楽器(鳴物)と結び付くことから、神社拝殿の鈴、雅楽などを想起した。

次に、第21回の基調講演は皇學館大學の研究開発推進センター神道研究所助教の佐野真人氏の「大嘗祭における太上天皇の役割」としての話だった。ここでは、平成の時代の天皇が譲位され「上皇」と呼んでいるが、その元は「太上天皇(だじょうてんのう)」の短縮形であることを知った。

そして、この譲位というものについて、政教分離なのか、日本国憲法の観点からはどうなのかなど、様々な意見がパネラーから発信されたことは興味深い。特に、マールブルグ大学名誉教授のマイケル・パイ氏の発言は、政教分離を杓子定規に考える日本人にとって考えさせられるものだった。

巻末、神道国際学会三宅善信理事長の寄稿があるが、ここでも、日本民族は「海洋民族」であったと考えるほうが自然という説に、志賀海神社、宗像大社が基調講演で紹介されているだけに、なるほどと納得できる。

今から75年前、連合国軍総司令部の「神道指令」によって神社の在り方が大きく変化した。しかし、成熟社会を迎えた日本において原点回帰のように伊勢神宮に参拝する人が増える背景に何があるのか。安定の時代から内省の時代に移行したのではと考えるが、排除なのか、共生なのか、遠い、遠い先祖たちの営みから得られる事々は多いのではないだろうか。講演者、パネラーの発言から、種々、考えるヒントをいただいた一書である。

                    
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『「明治十年丁丑公論」「痩我慢の説」』(福沢諭吉著、講談社学術文庫)令和2年5月12日

本書は「明治十年丁丑公論」「痩我慢の説」「旧藩情」の三部からなる、福沢諭吉の評論である。

まず、「明治十年丁丑公論」だが、この題名にある「丁丑(ていちゅう)」とは、十干十二支でいう十四番目の年のことを指す。元号とともに十干十二支を併記することで、年という時間経過を認識していた時代の名残だ。ゆえに、ここでは明治十年(一八七七)の西南戦争後の世評を述べている。

この論では、新聞紙上で西郷隆盛を批判することを、福沢が批判している。維新の功労者として西郷隆盛を評価したにも関わらず、掌を返すが如く、親の仇のように、西郷を叩き潰す。この様に、節度が無いと憤慨している。同時に、西郷が文武の武によって政府批判をしたことを福沢は咎めながら、西郷の尊皇精神は称賛するのである。

道を間違えた為政者を批判するのは当然として、しかし、西郷が武によって起った事を福沢は批判し、返す刀で西郷を追い込んだ政府に責任があると言い切っている。言論弾圧下の明治期、福沢はこの論を後世へと書き残したのだった。

次に、「痩我慢の説」だが、これは、幕臣から新政府の要職に就いた勝海舟、榎本武揚に送り付けた糾弾の説である。同時に、福沢は、この内容を木村芥舟など、ごくわずかな人に開示している。ここでいう木村芥舟とは、幕末、咸臨丸で太平洋を渡った際の責任者であり、この時、勝海舟は咸臨丸の艦長であり、福沢は、木村の随員という形だった。いわば、同じ艦に乗った仲でありながら、今は呉越同舟の関係ということだ。

武士の世界は「二君に仕えず」という掟にも似た規範があったが、勝海舟、榎本武揚は徳川幕府の禄を受け、新政府が樹立すると、その新政府の禄を受けた。二君に仕えたことが世の中のモラル崩壊につながるとして、福沢は両名を批判したのである。これに対し海舟は、「いささかも相違なく、自身の行動責任は自身が負う。この内容を公表されても構わない。」と返信し、榎本は多忙につき後日とその場を取り繕った。

この福沢の挑戦状ともいえる「痩我慢の説」を読みながら、福沢の半生記を述べた『福翁自伝』を思い出した。福沢は、「封建制度は親の仇」とまで言い切った。が、しかし、「痩我慢の説」とは矛盾しないだろうか。封建制度を批判しながら、武士の在り方を問題にしたからである。この件に関しては、今一度、多角的に福沢の環境、考えを検証しなければ分からない。

最後の「旧藩情」は、福沢が属した中津藩(現在の大分県)を事例に封建制度の矛盾を述べたものである。同じ武士でも上士、下士によって待遇が異なり、下士は下される禄だけでは食えず、内職が必須。具体的な数値を挙げて、その矛盾を開示している。本書全体を通読して、これは、維新の目的を考える材料と思った。

尚、本書や『福翁自伝』だけでは福沢の実態を知ることは難しい。博多・萬行寺の住職七里恒順と福沢と交流があった。七里の言行録などが参考になるのではと考える。

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『幕末』(村上一郎著 中央文庫)令和2年4月24日

本文庫は、明治維新150周年に合わせて再刊されたものだ。初出は1968年(昭和43)なので、明治維新100周年に出された。昭和49年(1974)には文庫本化された。西暦と和暦とが入り混じるが、これは、村上一郎自身が夫々の「あとがき」に記述したものに従っている。

内容は、一、大塩平八郎、二、橋本左内、三、藤田三代(幽谷、東湖、小四郎)、四、真木和泉守、五、三人の詩人(佐久良東雄、伴林光平、雲井竜雄)という内容になっている。吉田松陰については、別途、記述したので、あえて取り上げないと村上一郎は述べる。村上は吉田松陰に「先生」を付けて呼ぶほど、松陰に心酔している。

今回の文庫本で注目したいのは、村上一郎(1920~1975)が、国学的ナショナリズムの権化と呼ばれる文芸評論家・保田與重郎(1910~1981)との対談が収められていること。解説を渡辺京二氏(熊本在住の思想家)が行っていることである。渡辺氏の起用は、生前の村上一郎を知る人としてであると思える。

さて、本書では、唯一、真木和泉守に対する評価が厳しい。厳しいというより、「わたしは、真木和泉守という人は、本質においては狂夢家そのものであったと思う。」と村上は述べる。評するというより、批判の対象として見ている。この真木和泉守に対する酷評に、初出の文章を読んだ読者からの批評が集中したようで、「文庫本の再刊にあたって」の一文で「けっして、真木和泉守一人をおとしめて言うのではない。」と弁解がましい言葉を述べている。

さらに、本文庫の解説に渡辺京二氏が解説を寄せているが、氏は村上一郎との思いでのなかで、「僕は九州の人間は信用しません。」と村上から言い放たれた事を記している。筆者は、ここから、村上は東国(関東)出身者特有の九州人嫌いから、真木和泉守も酷評したのだと思っていた。しかし、それは的外れで、村上の海軍経理学校時代の戦友である小島直記は福岡県八女市の出身であり、村上に師事した岡田哲也氏(詩人)は鹿児島県出身である。これは、九州人というより、渡辺氏個人に対する村上の嫌味だったのではないかと考える。

そう考えた末、なぜ、村上が真木和泉守に対しての評価が厳しいのか。一つに、幕末において久留米水天宮の宮司の家に生まれながら、真木和泉守が漢学、仏教、蘭学と幅広い思想に触れたことが気に食わないのではないか。唯一、村上が真木和泉守を評価するのは、元治元年(1864)の「禁門の変」で事敗れて自刃したことである。もしかしたら、村上は、自由奔放に思想の海を泳いだ真木和泉守にあこがれ、その反発から評価が厳しかったのではと思った。

昭和45年、三島由紀夫が自決する。その5年後、村上は自らの愛刀で自決して果てた。すでに、この頃の村上は躁鬱との狭間にいたという。狂が狂の真木和泉守に憧憬していたのかとの疑念すら沸き上がった。

今一つ、明治維新150周年を迎えながら、盛り上がりに欠けたのは、半世紀の間に、村上のように維新の精神史を問う人が枯渇してしまったからではないかと、思い至った。
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『日本外務省はソ連の対米工作を知っていた』(江崎道朗著 育鵬社)令和2年4月18日

アメリカという国から、日本人は何を連想するだろうか。自由の国、アメリカン・ドリーム、世界を動かす金融の中心地。時に、移民や人種、宗教の相違から銃乱射での悲劇を早期させる。トランプ大統領のわがままな発言に反発するマスコミ。そんな事々が、がニュースとして日本に伝わる。そんなアメリカに、実は、共産党があると言ったら、日本人は、どんな反応を示すだろうか。一様に、「まさか・・・」「ウソだろう」という言葉が返ってくるのが大半だろう。さらに、この自由の国アメリカで共産党が本格的活動開始が、1933年(昭和8)年からと言ったら、信じられるだろうか。まずは、このアメリカに対する先入観を払拭してからでなければ、本書の問題提起を深く理解することは不可能だろう。

 本書は外交官である若杉要が作成した『米国共産党調書』が基本になっている。駐米日本外務省職員が、アメリカ社会で暗躍する共産党の活動を逐一まとめた内容だ。まさか、主義主張の異なる旧ソ連の指令を受けたコミンテルン組織が自由の国アメリカで活動していたとは、信じがたい。しかし、この若杉要が作成した調書に添って、日米関係、日中関係のもつれを見ていくと、腑に落ちる点ばかりだ。いつしか、全十章、270ページ余りが付箋だらけになった。

本書は、アメリカ共産党の謀略と日米関係、日中関係の軋轢だけではなく、現代日本の保守政党である自民党に対する諫言も述べられている。戦後75年といいながら、いまだ、戦後の占領政策から脱却できない日本の原因が述べられている。その大きな要因は、インテリジェンスの重要性を与党が理解していないことにある。インテリジェンスといえば、戦前の陸軍憲兵隊、特高警察のような弾圧組織に結びつけるからではないか。さらには、その報告内容を理解できない為政者の存在が大きい。

日本人は世界に比して善良な国民と言われる。翻ってそれは、他者を簡単に信用し、騙されやすい。他国のインテリジェンス活動を容易にならしめる国民性と言っても良い。そのお人よしの日本人を逆手に、歴史伝統文化が捏造され、洗脳されてきたのが戦後の75年ではなかったか。今一度、本書に記載されている事々と、事件や戦乱を重ね合わせてみてはどうだろうか。ぞっとするのは、間違いない。

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『残心』(笹川陽平 幻冬舎)令和2年4月14日

令和という元号に、人々は自然災害の無い安寧を期待したことだろう。しかし、早々に、新型コロナウィルスが発生した。一九一八年(大正七)も、世界はスペイン風邪によって六億人が罹患し、二千万とも四千万ともいわれる人々が命を落としたという。振り返れば、人類は目に見えないウィルスとの戦いを繰り返してきたが、その過程で迷信、宗教、差別、偏見を生み出した。今回の新型コロナウィルスが世界を席巻する最中も、スペイン風邪と変わらぬ風評被害が発生したことは記憶に新しい。科学が発達したとはいえ、人間の本質には、なんら変化がない。

本書は、ハンセン病制圧の戦いの記録である。ハンセン病はかつて、不治の病、業の病として、罹患者は離島などに隔離された。撲滅より、隔離隠蔽したのが現実だった。今も、謝罪と賠償請求の裁判報道を目にするが、どこか遠い記憶の彼方のこととして見ていた。しかし、本書の54ページにあるように、「無理解、無関心は人を差別する歴史の一端」に加担していた事と認識させられた。加えて、本書を手にするまで、笹川良一がハンセン病制圧に強い使命感をもって取り組んでいたとは、まったく、知らなかった。当事者意識が、根本的に異なる事を知った瞬間だった。

日本人は阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災、熊本大分地震などを経験した。192ページに記されるように、この一連の災害で、行政サービスでは対応できない社会構造になったことを日本人は認識したはずだった。かつての社稷(共同体)を復活させればよいのだが、まだ、気づいている風は無い。しかし、その共同体意識を早くから世界に広げたのが笹川良一である。その特筆されるべきものが、ハンセン病制圧であった。

222ページの「かつての日本人がもっていた気概」を読みながら思い起こしたのは、杉山龍丸である。戦後、インドの要請に応じ、私財を投じて一万本の植林をした。砂漠を緑に変え、インドの人々の食糧自給を支援した。インドのラス・ビハリ・ボースを玄洋社の頭山満、内田良平らが庇護したが、ボースの逃走用の車を用意したのが杉山茂丸だった。その杉山茂丸の孫が杉山龍丸だ。インドでは「グリーン・ファーザー」と呼ばれる。今も、ミャンマーで和平交渉に奔走する井本勝幸、カンボジアで地雷撤去活動を進める大谷賢二、アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲も気概をもった日本人だが、全員が福岡県人であるのは玄洋社の影響なのだろうか。

全八章を読み通し、笹川良一、そして著者の崇高な使命に考えさせられる事々は多い。とても、同じことは自身にはできない。さすれば、気概をもった日本人として笹川良一と著者に拍手を贈りたい。

しかし、一つだけ私にできる事があるとすれば、笹川良一がハンセン病制圧に全身全霊をかけたこと、今も著者が継承していること。それを、日本と世界に伝える事だ。

                                                      以上