7月4日(土)の午後、福岡市美術館ミュージアムホール(福岡市中央区)での浪曲独演会に行った。浪曲師は玉川奈々福さん、曲師は広沢美舟さんである。
この浪曲だが、関わりをもつようになったのは数年前、浪曲を知ってほしいとの誘いから浪曲会場に足を運んだのが始まりだった。当初、浪曲など、渋い声の腹の底から絞り出す語り芸と思っていた。ところが、今回の玉川奈々福さん、広沢美舟さんコンビは海外公演もこなし、今や浪曲はインターナショナルの語り芸となった。
そこで、私が浪曲を面白いと思うきっかけとなった浪曲会についての一文から、現代の浪曲事情を知っていただきたい。
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「浪曲中興の地・博多」:令和5年(2023)7月2日
福岡・博多は「浪曲中興の地」といわれる。それは稀代の浪曲師・桃中軒雲右衛門(1873~1916)が自由民権運動団体玄洋社、その機関紙「九州日報」の支援を受け大成功を納めたことによる。この成功を受け、桃中軒雲右衛門が東京公演で大成功を収めたことで、浪曲の格式が大きく向上した。
そこで、浪曲中興の地で浪曲を再びという試みが始まった。令和5年(2023)7月1日(土)、博多祇園山笠で賑わう櫛田神社(福岡市博多区)近くの龍宮寺に出かけた。ちなみに、龍宮寺という寺の名前の由来は、人魚伝説にちなんだ寺名で、仏さまと並んで本堂の左右に妖艶な人魚の額が嵌まっている。
「浪曲の夏」と題した公演だが、浪曲師は国本はる乃、曲師(三味線)は広沢美舟である。午後2時開演だったが、熱心な浪曲ファンが本堂を埋めた。ご老人が多いのではと思ったが、案に反して年齢層は相当に低い。第一、浪曲師の「国本はる乃」じたいが27歳であり、女性の浪曲師である。曲師の広沢美舟も若い。浪曲イコール、渋い。というのは、古いのだ。
演目は3席あったが、最初は水戸黄門漫遊記。会場の笑いをとりながらの語りは、聞く者を飽きさせない。言葉遊びが実に巧妙にして面白い。
「山より大きなシシはいない」「海より大きなクジラはいない」「富士につまづく人はいない」など、テンポの良い言葉に曲師(三味線)の合いの手が演者を盛り上げ、気づけば30分。ハッピーエンドで終わった。
浪曲といえば、清水の次郎長、国定忠治などの任侠話が定番。そこで、国定忠治の語りも演じるが、「弱きを助け強きをくじく」任侠モノは時代が異なるのか、言葉、ストーリーの展開に残念ながら聴衆の反応は今ひとつ鈍かった。
休憩後の3席目は「子別れ峠」という、互いに親子であると名乗れない「お涙ちょうだい」の話。主催者は、この人情噺が押しという。芸歴18年の「国本はる乃」の声量、声の調子は、情感を際立たせる。
浪曲は、明治時代、娯楽でありながら、読み書きのできない庶民に対し、道徳教育、倫理教育を行うものだった。勧善懲悪、義理人情、親子の情愛などを聞かせるのが浪曲だ。「(子供を)育てたが親」など、言葉の力がセリフに織り込んである。庶民にとっての耳学問が浪曲だが、これを自由民権運動に使ったのが革命浪人の異名をとる宮崎滔天だった。桃中軒雲右衛門に弟子入りし、桃中軒牛右衛門(とうちゅうけんうしえもん)と名乗って高座を務めたのは滔天の『三十三年の夢』に詳しい。
桃中軒雲右衛門が玄洋社の支援を受けて大成功を収めることができたのは、革命浪人・宮崎滔天が玄洋社の末永節(すえながみさお)らと親しかったからだが、その縁で雲右衛門も名を遺せた。そう考えると、やはり、福岡・博多の地は「浪曲中興の地」と呼べるのだ。 (終)
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浪曲中興の地でありながら、福岡・博多での浪曲人気は低迷している。浪曲に関しては素人の集りと思ってよい。そこで、玉川奈々福さんは浪曲とは何か、曲師がアドリブで三味線を奏でるなどの説明を面白おかしく語ってくれる。日本には三大語り芸と呼ばれる落語、講談、浪曲がある。唯一、浪曲だけが立って語る。これには理由があるのだが、自由民権運動の演説会で官憲の取り締まりを逃れる術として浪曲会にしていた。警官の姿が目に入れば、すぐさま演台にテーブルかけをかぶせて一節うなると取り締まりを逃れることができる。ここから浪曲が立って語るもととなった。極めつけは玉川奈々福さんが「玄洋社」が浪曲を三大語り芸にしてくれたと聴衆に語りかけたくれたことだった。これは、実に、ありがたい一言。ただ、「玄洋社って何?」という客の反応。(代わりにこの私めが語って聞かしょうか・・・
玉川奈々福さんの第一席目の演目は、なんと、「浪曲シンデレラ」。フランスのシャルル・ペローが1697年に著した『灰かぶり姫』が原作といわれる。ほかにもグリム童話にも似た作品があるというが、なんといってもディズニー映画の「シンデレラ」で日本人は脳裏に刻み込まれている。これを浪曲で演じるのだから、古いとか渋いを通り越し、斬新と思うしかない。意外な演目と語りに引き込まれる。ストーリーが分かっているだけに、表現の面白さが際立つ。
休憩を挟んでの第二席目は「仙台の鬼夫婦」というものだった。この話は初めてだったが、仙台藩の武家夫婦の話だ。海外で江戸時代の武士の話が海外の方々に理解されるのだろうかと思ったら、意外にウケる。不思議に思って海外の方々に聞いてみると、なんと、クロサワ映画で時代背景を知っているとのこと。これには、玉川奈々福さんも驚くやら先人に感謝するやら。ストーリーは薙刀の使い手である妻が、心を鬼にしてダメ男で博打好きの夫を一流の剣術使いに仕立て上げるハッピーエンドの話。
玉川奈々福さんは面白い経歴の持ち主で、元は筑摩書房の編集者だった。曲師を経て浪曲師になったそうだが、浪曲の未来、自身の姿を予見していたのかも。なにしろ、先を見通すことができる竹輪(筑摩)書房の編集者だったのだから。
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